好きなエロ

 「お笑い男の星座」再び読み返す。
 お笑い界においては昔からなぜか「文が書ける」ということが芸人のステータスになっているようだ。
 文が書けるということは、思いついたネタを皆にわかる形で伝える事ができるということである。
 言ってみれば、自分の「笑い」のオリジンを主張することが出来るようになるわけだ。

 確かに、一流を超えた超一流の「喜劇人」は、物を書く人が多かったりする。
 もちろんゴーストライターではなく。
 古くは森重久弥がそうだったし、立川談志もそうだ。
 ビートたけしもツービート時代、「わっ!毒ガスだ!」というギャグ・アンソロジーを著している。

 さて、2回読んでみて感じたのは、水道橋博士の文体のわかりやすさだ。
 あまりにもわかりやすく、芸人が書いた本だという気がしないのだ。
 自分の伝えたい興奮や意気込みや感動や、その他ポジティブネガティブを含めた色々な思いを伝えるのには、かなりの筆力が要るはずだと思う。
 それをこの本では「プロレス文体」を使ってやすやすと成し遂げてしまった。
 つまり、浅草キッドはこの本で、芸能界と世間を向こうに回してプロレスを始めたわけだ。

 プロレスをコミュニケーションツールとして使うこと自体が、「芝居はプロレスである」と信じていた俺にとっては天啓であった。
 俺もプロレスをしよう。

 稽古は男だけ参加の殺伐としたものだったが、昨日までの鬱々とした気分は晴れていた。

 小道具に使っていた漫画アクションは、実はあまりエロ本としての役割を果たしていない。
 稽古の合間合間に「エロ補給」のために、宇原君や中山君とページをめくって気がついた。
 「あまりエロくねえよな」
 と俺が言うと、宇原君が自分の好きなエロを語ってくれた。
 「俺は、なんかこう、口からどろっとした液体が垂れてるような、そういうのがいいんですよ」
 3人で該当するページを探すが、見つからなかった。
 どうせエロ本の出版社の話なのだから、エロ本に関して妥協してはいけないのではないか。
 そう考えて皆に提案した。
 「みんな、今度さ、エロ本を集められるだけ集めて集まろう」
 場の空気はまんざらではなかった。

 小道具で使うパンツを飯野が購入してきた。近所で100円で売っていたそうな。
 女の子に頼まずに自分で買ってきた飯野に対して我々は賞賛の声を惜しまなかった。
 しかし芝居が終わった後、どうするんだろう?