節制

 最近、コーヒーを控えている。
 前は、朝ご飯を食べるときは必ずコーヒーを飲み、仕事中には傍らに置き、昼飯を食い終わって飲み、休憩時に飲み、夕飯の後飲み、稽古やら読書やら何かしているときに飲んでいた。
 平均して1日6?7杯くらいだろうか。
 それを、2?3杯くらいに抑えている。

 ついでにアルコールも減らしている。
 前は、寝る前に最低でもビールを2缶くらい飲まないと気が済まなかったのだが、このところ1缶で済ませているし、飲まない時もある。

 体に異常を感じたからというわけではないのだ。
 何となくそうしている。
 そして、以前より健康になったかと聞かれたら、そうでもないと答える。

 アルコールについて言えば、昔は酔っている状態が好きだから飲んでいたのだが、最近あまり好きでなくなったということが言える。
 自慢じゃないが、と書く以上つまり自慢だが、俺は酔っ払って正体不明になったことがないのだ。
 なる前に帰巣本能が機能して、さっさとうちに帰ってしまうのだ。

 去年、井の頭公園で花見をした時も、かなりの量を飲んでから、記憶が途切れており、気がついたら翌朝自分の部屋に寝ていた。
 健ちゃんによると、
 「『俺は帰る!』と宣言して、さーっと帰っちゃったよ。それから、家に帰ってから、『今うちに帰った!』と電話してきたよ」
 だったらしい。
 が、まったく記憶にない。

 一番失敗したのは大学4年の冬。
 I君という友人の家で鍋をやったのだが、卒論の追い込み時期にさしかかり徹夜が続いていた俺は、いとも簡単に記憶が途切れ、気がついたら翌朝、例の調子で自分の部屋の布団に横になっていた。
 その後、年末まで史料集めなどに追われ、年が明けるまで学校の知り合いと顔を合わすことはなかった。
 翌年早々、別の友人と授業で会ったとき、開口一番、
 「お前、大変だったぞ。あいつんちの押入に、唾はいてたぞ」
 と言われた。
 青天の霹靂。

 どうも、酔っ払ってトイレに行こうとした時、友人宅の押入をトイレだと思って、一生懸命中に入ろうとしていたらしい。
 「塚本、そこはトイレじゃないぞ」
 と皆が止めると、
 「チッ」
 と舌打ちしてから、吊してあったコートに唾を吐き、本当のトイレに行ってしまった。
 そして、出てくるなり、
 「俺は帰る!」
 と捨てぜりふを残し、外に出てしまったのだという。
 帰る方向が同じだったO君が、心配して一緒に帰ってくれたらしいのだが、俺は大笑いしながら新小金井街道を自転車で走っていき、一緒に走るのが大変だったという。
 まあ。何てお下品な。

 若気の至りだからこそ、I君は快く、さわやかに、何の恨みも抱かずすぱっと気持ちよく許してくれたのだが、今の歳で同じことをやったらさすがに恥ずかしい。
 その一方で、恥ずかしがる自分を臆病だと思う自分もいるのだ。
 「芝居やってるんだから、己を解放できる機会にどんどん解放して、芸域を広げなきゃ駄目なんじゃねえか?」
 
 木野花さんのところにいたときも、酒席を断ると臆病者呼ばわりされたっけ。
 しかし、今思うのだが、己の解放に酒が必要なのは、若い自分だけじゃないだろうか。
 年を重ねていく課程で、酒なしで解放できるようにしていかなくてはならないのではないか。
 酒なしの解放とは、つまり、酒なしで酔っ払うことかな。

 とはいえ、酒をやめるつもりは毛頭ない。
 酒との蜜月を、より濃いものにするために、ハレの日以外は酒量を減らすのだ。

 もしかすると、酒量が減ったからコーヒーを飲む量が減ったのかもしれない。
 酔い覚ましとしてのコーヒーが、必要でなくなったということだろうか。
 かわりに杜仲茶を飲んでいる。
 トイレが近い。

 古本屋で本を6冊ほど買った。
 その中の1冊、田山幸憲の「パチプロけもの道」読む。
 攻めの、幻灯社アウトロー文庫。

 30年以上もパチンコをやってきた人が描く、プロ達の人間模様は、黒沢明の「どん底」を思わせる。
 ぐいぐい引き込まれ、1時間半で読んでしまった。
 こういう生き方に憧れる人々がいるのは、都市文化が発達した国だけだろうな。