台本選びの難しさ

 劇団漠本公演を観に行った。
 演目は「新雨月物語」

 冒頭から暗めの照明で、重々しい雰囲気。
 「これは、絶対笑えない芝居だろうな」
 という予想はぴたりと当たり、およそ1時間の間、恨み、ねたみ、そねみ、栄達への欲望、骨肉への愛情、等等、手塚治虫的などろどろが展開された。

 ここで、「なぜこの本を選んだのか」ということは書くまい。
 ただ、この本を選んだ部員達と、この本が醸す世界との関係がどうにも希薄に思えた。

 が、考えてみれば、極めてノーマルに大学生活を送っている彼ら彼女らが、栄達の為に村を皆殺しにするだの、自分が殺されても息子の命は救って欲しいと願う母の想いだのがたっぷりと盛り込まれた、人間心理ディープ最前線の台本とまともに取っ組み合ったりしたら、本の世界に引きずられて、ユング心理学的でいうところの「下手に夢を分析することの恐ろしさ」に似た恐慌状態に陥ってしまうかもしれず、危険といえば危険である。

 かといって、危険な台本に手をつけずにいては、進歩がない。
 難しいものだ。

 そう考えれば確かに、台本からひたすら様式を読み取り、忠実にそれを模していくという方法は安全かもしれない。

 昼のステージを見終わったのが2時半だった。
 時間が随分余ったように思えたので、帰りに小金井の元・長崎屋でシュークリームを買い、うちに帰ってコーヒーを飲む。

 夜は水炊き。
 カキが安かったので、値段の割りにはとても贅沢な鍋物となった。
 ちなみに俺は、鍋に直接味付けをするのが好きではない。
 鍋はだし汁だけにして、食う時に各自が好みの味付けをするのが好きだ。
 ポン酢とか、醤油とか、味噌ダレとか。