久々に観たコント55号

 だらだらと夕方まで過ごす。
 正月は何事も大目に見るものだ。
 なぜか知らないがそういうことになっている。
 特に日本の正月は大目に見るものの許容範囲がとても広いように思える。
 酒をすごしてもまあまあまあ。
 床に寝ちまってもまあまあまあ。
 一年の計は元旦にあるともいう。
 まあまあまあの根拠はそのあたりにあるのかもしれない。
 年の初めにケチをつけたくないという民衆心理だ。

 何てことをまどろみつつ考える。
 偉そうなことを考えようが考えまいがお相伴に預かっている身の上だ。
 松の内は徹底的にダラダラするのだ。

 夕方実家へ帰る。
 母が作った焼き豚はやはり昔懐かしい味であった。

 「これは味噌を入れてるね」
 「そう。お醤油とお酒とネギとお砂糖に肉を一晩漬け込んでからお水を足して煮るのよ」

 塚本家版さばの味噌煮レシピも煮たような配合だったように思う。
 味噌を入れると当然ながら濃厚な味わいとなり酒が進むというわけだ。

 萩本欽一の番組を観る。
 「欽ちゃんのどこまでやるの」のスペシャル番組だったと思う。
 風見しんごと見栄晴が欽ちゃんのお宅にお邪魔して冷蔵庫を開けたり勝手放題する企画があった。
 90年代バラエティー番組の定石となったパターンである。
 当然のように本来萩本家にあるはずのない物を映したりして笑いを誘おうとしており、それに対する欽ちゃんのリアクションは「ほんとにあるわけないでしょ」など空気を読めていないようにおぼつかないものだった。

 しかしここでふと思い当たることがある。
 評論家の西条昇氏との対談で萩本氏は突っ込みという技術について、明らかにボケとわかるものに対して何か言うのは突込みではないと言っているのだ。
 つまり萩本氏は番組の進行における萩本家紹介をまったくボケとして認めていなかったのだ。

 番組の最後に坂上二郎とコントを演じていたのだが、二郎さんの一つ一つのリアクションは明らかにそのままではボケに見えず、むしろ一般人よりもきちんとできた人に見えた。
 そこを欽ちゃんはさらにつっこんでいく。
 はじめのうち二郎さんは難なくこなしているが、欽ちゃんの容赦なき突込みをこなすうちにボケなのかそうでないのかよくわからなくなっていく。
 にもかかわらず二郎さんはどんな突っ込みや要望に対しても涼しい顔で、
 「できますよ」
 と言ってのけるのだ。
 これはボケとしては究極の領域であり最高度の技術と洗練を要する。
 当然欽ちゃんの突っ込みは冴えに冴えわたり無駄な突っ込みは一つもなかった。

 それにしてもコント55号があれだけのクオリティのコントを今でも演じられるのには驚いた。
 欽ちゃんの突っ込みは演劇における演出家のダメ出しに酷使しているのだが、芝居経験者ならばその早さと的確さと容赦のなさに大笑いしながらも慄然とするはずだ。
 素晴らしいものを見ることができて良かった。

 当然ながら番組のコント以外の部分は背中越しに聞くだけにした。
 まともに観たら脳腫瘍ができてしまうからである。

 深夜は昨年末から楽しみにしていた「ベストヒットUSAリターンズ」を観た。
 1980年代に洋楽に親しんでいた世代にとってはいい酒が飲める企画である。
 杏露酒のお湯割りを飲みながら観た。
 しかし1時間という短い放送時間では物足りなかった。
 もう一度同じ企画を立てて欲しいものだがさすがに無理だろうか?