映画「GO」

 ぐちゃぐちゃと3時まで寝ていた。
 本番が近づくと睡眠が何よりのごちそうだが、そのためひとたび寝る機会に巡り会うと貪るように眠ってしまう。
 そして、いくら眠っても足りない。
 心が眠いからだろう。

 夜、トーストに色々なものを挟んで食った。
 オニオンスライスを初めておいしいと感じた。

 ビデオ屋で「GO」を借りた。
 前から観たかった映画。
 山崎努と大竹しのぶが夫婦というのは、3番ローズ4番ペタジーニみたいな卑怯さ加減だ。
 テクニック使いまくり。引き出し開けまくり。

 ただ、窪塚洋介の演技が「上手くはない」ために、それらが嫌みに感じなかった。
 窪塚洋介は良かった。
 国境だの主義主張だの難しいことを考えない世代、というよりはむしろ、考えないことが似合う世代、に見えた。

 思えば前の世代は、必要だったから考えていたのだろう。
 しかしその必要性が、旧日本軍による支配によって壊された民族の自覚を取り戻すところから来ているとするならば、前の世代がしてきたことは滑稽だ。
 民族学校のシーンで旧世代の教師が朝鮮語教育を強要させていたが、これって日本の軍国主義そっくりだもんな。
 ミイラ取りの末路?

 韓国について、ナショナリズムを嫌う国民が染まるナショナリズム、という表現を誰かがしていた。
 国単位で強い感情を持つと、何らかの呪縛にはまるということだろう。
 そういえばワールドカップでの韓国に対する噂も最近きな臭くなっている。
 たぶん日本人は、韓国のああいう「押し方」が生理的に駄目なのだろう。
 これはもうしようがない。

 仲良し幻想を捨てるというのが、現実的ではないかと思う。

 「韓国人は日本人が大嫌い。そして日本人も韓国人が大嫌い。
 さて、お互い嫌いあってる我々ですが、それはそれとして喧嘩をせずにすむ現実的方法を考えましょう」

 これなら喧嘩になったっていいわけだし、堂々と相手のことを「嫌い」と言っていいわけだから。
 楽は楽だ。