2階の住人とその彼女が窓を開けっ放しで

 夕方、手帳を片手に電車の中で、お手伝いをしてくれる人のことを色々考えていたら、降りるべき中野坂上駅を過ぎてしまい、東高円寺まで運ばれてしまった。
 反対側のホームに行こうとしたのだけど、なぜか連絡通路がみつからず、仕方ないので駅を降り、トイレで運動着に着替えた。
 そして荷物を持ったまま、南中野までマラソンした。
 リュックが汗まみれになるのは具合が悪いので、片手に抱えて走ったら、もの凄くキツかった。

 マミちゃん演じる杏子のシーンをあれこれいじる。
 高校時代に放送部だった武市が、昼休みに放送室にやって来るシーンの動きをマミちゃんにやらせる。

 色々指示をして、やってもらう。
 「病弱な武市でやってみてよ」
 咳をしながら放送室に入り、消え入りそうな声でカセットテープを持ってきた。
 「じゃあ、アナーキーな感じなら?」
 ものを壊しながら放送室に入ってきた。
 「プラス思考の武市だったら?」
 はつらつとした感じで入ってきた。
 「いくつかパターンを作っておいて、本番に向けて練り上げて、面白いやつをやることにしよう」

 片桐と山崎のシーン。
 妊婦の出産をやってもらう。
 「いきんでもいいですか?」
 「ダメです!」
 「わたし、子供なんかいらない!」
 その台詞を加える。

 おばちゃんを演じる久保田君は、終了時間ぎりぎりの稽古となった。
 相撲をとるシーン。
 「ちゃんと相撲をとらなくちゃ。言ってる意味わかる?」
 「わかりません」
 「はっけよーい、のこった」
 そして犠牲者を突っ張りで倒し、肉欲の餌食にするという設定だ。
 リビドーに比例した攻撃衝動の表現となっているのだけど、久保田君は基本的に人が好く、心の中にどす黒いものを抱えていないため、つっぱりがただのつっぱりに終わってしまいがちになる。
 エロつっぱりになれば、たぶん飛び散る血と汗の幻を、人は見るであろう。
 道のりは遠い。
 しかし、そのために心の中にどす黒いものを飼って欲しくはないし、何か別のアプローチをこちらで考えた方がいいかも知れない。
 純粋にスポーツに見立てるとか。

 稽古後、中野までの道のりを歩く。遠い。
 いや、遠く感じるようになってきているのかもしれない。
 疲れがたまっているのだろう。そりゃそうだ。

 うちに帰りシャワーを浴び、窓を全開にして涼んでいると、アパートの2階から女の嬌声が聞こえてきた。
 明らかにセックスしている声だった。
 むしろ、明らかすぎて、AVみたいだった。
 しかも、最後には女の叫び声で終わるという基本っぷりである。
 「終わったな」
 と思う風呂上がりの自分が哀しい。

 だが、あれは明らかに演技だ。
 感じ過ぎにもほどがある。

 その部屋の住人は近所の新聞販売所で働く兄ちゃんで、いつも窓を開けっ放しにしているのだ。
 しかしいくら暑くても、開けっ放しでやるか?
 聞かせたいのか?
 その方が興奮するのだとしたら、風呂上がりにクライマックスと遭遇した俺はまさに、彼らの興奮に一役買っていたことになる。
 つまり、露出もののAVでモザイクをかけられる通行人と同レベルになってしまったことになる。

 誰に対して、何に対して怒ればいいのか考えてみた。
 やはり、演出家としては、彼女に怒るべきだろう。
 2階にあがりドアをノック。
 ドアが開いたら開口一番、
 「あんた、ほんとに感じてないでしょ」
 これができれば演出家として一皮むけるような気がするが、結局今夜はできなかった。
 蜷川幸雄さんならできるのだろうか。