『めぞん一刻』とエンディング

 大手町では最高気温36度を記録したそうだ。
 もちろん、6月の観測史上最高記録だそうだ。
 空梅雨といわれ、それほど雨が降らない今年の6月だが、普通に雨が降っていればそれがたずなの役割を果たし、初夏から真夏への急激な変化を抑えるのだろう。
 去年だって6月は暑かった。

 昼、公園に行くが、木陰のベンチはちっとも涼しくなかった。
 図書館に行こうしたら、枯葉が積もっている植え込みのあたりで、猫がなにやらくわえていた。
 雑巾みたいな布かと思ったが、それは鳩だった。
 猫は鳩の首のあたりにかぶりついたままじっとしていた。
 息絶えるまで噛み続け、それから食うのだろう。

 その公園を定宿としているホームレスがやってきて、鳩をくわえた猫に気づいた。
 「コラ、だめだよ、コラ!」
 彼はそう言って、猫から鳩を奪おうとしていた。
 猫は鳩をくわえたまま逃げた。

 図書館はさすがに冷房を効かせていた。
 タクシー運転手や営業サラリーマンがゲリラ午睡に興じていた。
 サラ・ウォーターズの『半身』を借りる。

 夕方、実家に帰る。
 母親が韓国から帰国していた。
 今回の訪韓は、幼い頃住んだ家を見に行くためだったそうだ。
 戦前、満鉄に務めていた祖父は、ソウル周辺に家を建てていたのだ。
 母方の兄弟は子供時代をそこで過ごした。
 年長の叔父や叔母は、昔の家のあたりで涙ぐんだらしいが、うちのお袋にとってはすべて小学校に上がる前の記憶なので、あまり感傷的になることもなかったようだ。

 先週、自分のミスでキーボードもマウスも動かなくしてしまったパソコンを直す作業をする。
 回復コンソールをつかってコマンド入力をし、ドライバを再び作動させようとしたのだ。
 だが、どのドライバの作動を停止させたのか自分でもわからず、作業の手間が増大しそうだったので、結局ウィンドウズを再インストールした。
 11時過ぎまでかかったので、ジョギングは中止。

 シャワーを浴び、寝転がって『めぞん一刻』を読んだ。
 全15巻あるが、面白いのは10巻以降だ。
 9巻までは、
 (どうぜ二人はくっつかないだろう)
 という安心感があった。
 10巻を過ぎると、
 (これは、そろそろ決着がつくかもしれないな)
 というハラハラドキドキ感がある。

 『めぞん一刻』は『うる星やつら』と同時期に連載が終わった。
 『うる星やつら』のラストは、これからも同じようなすれ違いが続くことを暗示させていたが、『めぞん一刻』はすれ違いの要素にけじめをつけた。

 『うる星やつら』のエンディングをひと言でいえば「いつまでも永遠に」ということだ。
 『めぞん一刻』にもその要素はあるのだが、周囲の状況は劇的に変わっており「二度と戻れないあの頃」という要素が加わっている。
 高2の時に『めぞん一刻』15巻を読み、切なさのあまり『エンディング恐怖症』になってしまった。
 しばらくの間終わりのある物語が読めなかった。
 それで読んでも読んでも終わらないマンガや小説に手をつけるようになった。
 『グインサーガ』を読み始めたのにはそうした事情がある。
 『幻魔対戦』
 『真幻魔対戦』
 『キマイラ吼』
 『宇宙皇子』
 みんな同様の理由で手をつけた。

 最近は物語が終わることで切なくなることはない。
 「大人になったんだな俺も」
 「ちがうよ。お前も終わったんだよ」
 なんてことは言われたくない。