玉手箱現象

 脱力感に包まれていた。
 軽い鬱状態というか、わけもなく切ない気持ちになっていた。
 とはいえ、これは月一回のペースでやってくるので、いつものことではある。

 こういう時は食べるものに気をつかわなくなるので要注意だ。
 カップ麺率が高くなったりする。

 結局夜は、トーストにハムとスクランブルエッグを挟んで食べた。
 朝食みたいなメニューだが、カップ麺よりはマシな気がする。

 鬱なんて書くと非常に大げさだ。
 要するに、昨日見た『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』ショックが抜けていないのだ。
 浦島太郎が玉手箱を開けたのと同じ衝撃だ。
 消えないモクモク。

 あの番組が放送していたのは俺が6歳から8歳までの間で、そのうちキャンディーズが出ていたのは番組開始から1年半だった。
 残りの半年はキャンディーズの代わりに新人3人組アイドルが出ていたが、子供心に「しょぼいなあ」と思って見ていた。
 結局1978年の秋に『みごろ!ゴロゴロ!大放送!』という番組名に変わり、伊東四朗は降板した。
 しかし、ツッコミ役として鬼かあちゃんコントをコントロールしていた伊東四朗が降板し、ボケ役の小松政夫が残るという人事は、結果的には大失敗だった。
 キャンディーズの代わりを務められるアイドルグループもいるはずはなく、3人組のB級アイドルが2組出ていた。数増やしゃいいってもんじゃない。
 そういえば『みごろ!ゴロゴロ!大放送!』には武田鉄矢が出ていて、最終回の時に番組が終わることを憤っていた。

 6歳7歳の頃は両親のしつけで、8時には寝ることになっていた。
 しかし『みごろ!』の放送時間は毎週月曜の8時から1時間。
 なぜそれを見ることが出来たのかというと、母が大好きだった加山雄三がレギュラーだったためだ。
 番組開始間もない頃、キャンディーズの新曲『哀愁のシンフォニー』を母が好きになり、レコードを買った。
 妹が『全員集合』などでキャンディーズの歌真似をしていた関係で、そのレコードは母が妹に買ってあげるという形をとった。
 「ボクもなんか欲しい」
 と母に言ったものの、好きなアイドルなんていないのだから、なにを買ったらいいのかわからなかった。
 実際に『哀愁のシンフォニー』を歌うキャンディーズが見たいということをたぶん妹が言い、それで特例として『みごろ!』を見始めたのだと思う。
 それが習慣となって、番組終了まで毎週見ていた。

 番組を放送していた頃から俺はミキちゃんのファンで、キャンディーズが解散して5年後にミキちゃんがレコードを出した時も、
 (あ!ファンだったミキちゃんだ!)
 と思って聞いていた。
 大学に入ってからバイトで有線放送を聞く機会が増え、キャンディーズの歌も聴き直すことが多くなった。
 バイト先の店長に、
 (俺、ミキちゃんファンだったんですよね)
 と話した覚えがある。

 だがしかし、なぜどうしてミキちゃんファンになったのかは、じつは1978年以来延々と謎だったのだ。
 何しろ6歳7歳の頃だから、ファンになる理由は言葉になっていない。
 よくわからないけど好きになり、好きになったという記憶だけが28年間も頭の中に滞っていたのだ。

 昨日『みごろ!』を見てすさまじい号泣反応を示してしまったのは、6歳だった自分がどうしてミキちゃんファンになったのかが、番組のコントで瞬間的にわかったからなのだ。
 (6歳の俺はミキちゃんのこういう部分が好きだったのか。安心しろ6歳の俺。今でも俺は女の子のこういう部分が大好きだぞ!)
 6歳の俺に力強くうなずく現在の俺。
 そういうことだ。

 キャンディーズが解散するニュースを聞いたのは7歳の時だった。
 (『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』はどうなるんだろう?)
 と思ったが、1977年9月解散予定が、1978年4月に延長され、キャンディーズは毎週番組に出続け、面白いコントをやり続けた。
 1978年の3月だか4月に、たぶんキャンディーズの最後の出演放送も見ているはずだけど、よく覚えていない。
 (きっと来週も出てくるよ)
 と、根拠のない信じ方をしていた。
 だが、次の週からは新人の3人組アイドルグループが出ていた。
 『全員集合』にもキャンディーズは出なくなっていた。
 (ああ、本当にいなくなっちゃったんだ)
 と、8歳になる直前の俺は思った。
 子供だから、情緒的に悲しくなるということはない。
 が、漠然とした寂しさは感じていた。

 高校1年の時、とんねるずの映画『そろばんずく』を見に行った。
 同時上映が『おニャン子 The Movie』という、おニャン子クラブの主演映画だった。
 この映画で、おニャン子クラブの解散阻止を目論む爆弾魔みたいな役を関根勤が演じていた。
 こういう台詞があった。
 関根「…君はキャンディーズ解散のショックを知らないのか」
 (うんうん、そうだよなあ)
 と、高校1年生の俺はうなずいていた。

 それにしても、こんなに大人になるまで『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』は再見する機会がほとんどなかった。
 もしも再放送なんてことがされていたら、俺の人生はどうなっていただろう?
 今とは違う方向を向いていたかもしれないと真剣に思う。どこ向きかはわからないが。

 DVD-BOXはあと二つある。
 たべごろBOXと、笑いごろBOXだ。
 心の準備ができないと見られない。