山中貞雄初体験

 昼過ぎ、モチメにつきそってゴールデン街へ。
 何ヶ月かに一回のペースで、着物友達が集まり行っている手芸カフェにおじゃまする。
 おじゃましたものの、手芸も着物も人形も趣味ではないので、台本でも書いてようかとノートパソコンを一応持って行った。
 ところが、お店を提供してくれていることさんが、山中貞雄監督、大河内傅次郎主演の『丹下左膳餘話・百萬兩の壺』のDVDを流した。
 これが大変面白く、最後まで見入ってしまった。

 山中貞雄監督の名前は、戦前の映画に関する本などで知ってはいた。
 小津安二郎監督と同じく日中戦争に兵士として応召し、28歳で病死。
 若くして死んだ天才監督という位置づけだ。

 フィルムの保管状態が奇跡的に良く、音声も非常にクリアだった。
 そのためもあるだろうが、とても昭和10年に作られた映画とは思えなかった。
 大河内傅次郎の魅力が大爆発している。
 圧巻は、道場破りのシーンでの立ち回りだ。
 左手に持った木刀で、ぴょんぴょん跳び回りながら門弟達を打ち負かす動きが実にすばらしい。
 ため息が出た。

 夕方、いったんうちに帰り荷物を置いてから買い物をする。
 どういうわけか食材のどれもこれもが高く、献立も思いつかなかったので、うどんの乾麺を買ってごまだれにつけて食べた。

 ココログに写真をアップロードしたのだが、サイトがしゃれにならないほど重くなっており、文を書いてからアップロードし終わるまで3時間くらいかかった。
 頭に来てニフティにメールをしたが、クレーム文を書いているうちにだんだん分析的になり、結局はご意見を寄せるにとどまってしまった。

 夜、ノア中継見る。
 志賀賢太郎がパンチパーマになって、やくざキャラになっていたのには驚いた。
 あの、身長があるのに食っても食っても太れない志賀が。
 秋山に『立って帰れ!』と試合後にマイクでハッパかけられていた志賀が。
 長期休養の原因が、ゲームソフトのための撮影で三沢社長にかけられたエメラルドフロウジョンだったという噂の志賀が。

 しかし、あんなにノっている志賀を見たのは、全日時代から数えても初めてのことだ。
 ブレイクできるか?

 CMで三沢が例の銅鑼声で歌っていたのにはもっと驚いた。
 鼓太郎まで一緒に出ていた。