俺は俺で頑張るという、市井に生きる人の姿勢

 今日も暑い。もう6月だ。早いな。
 毎年6月になると、宿題をやっていないのに夏休みが半分過ぎた子供の気持ちになる。
 (もう半分かよ)
 年中行事だ。
 (こうしちゃおれない)
 と思ってハッスルすると、大好きな7月と8月がやってくる。
 だから毎年、夏はハッスルする。

 一昨年『ファミリーアフェア』をやった時は、稽古で夏がつぶれてしまった。
 今年は本番が終わってもまだたっぷりと夏が残っている。
 それだけが、心の支えだ。

 追加分の台本を印刷する前に、同じ桁数行数で過去の台本を読み込んでみた。
 すると『第二ゾーンへ』が123ページあった。
 あの芝居は一応2時間をほんの少し切る内容だったから、今回の目標である上演時間1時間50分以内を達成するには、110ページ前後書けばいい。
 現在88ページ。
 つまり、残り22ページでラストシーンにつなげなければならない。

 だが、ちょっと前までは100ページでまとめようと思っていたので、それに比べるとだいぶゆとりがある。
 10ページの差は大きい。

 夕方、印刷した台本を持って南中野へ。
 片桐が先に来ていた。
 狭い稽古場で着替えていると、須藤さんから電話。
 「間違えて中野坂上に行っちゃいました。南中野にはどう行けばいいですか?」

 ちょうどジョギングに行くところだったので、新中野あたりで待ち合わせることにする。
 鍋横商店街で須藤さんと会い、道を教えてジョギングを続ける。

 ところが、鍋横地域センターから和田のあたりへさしかかるところで再び彼女に会う。
 「道に迷いました」
 再び南中野への行き方を教え、そのままジョギングを続ける。

 南中野で三たび須藤さんと会う。
 「今日はよく会うね」
 と思わず言う。

 片桐と須藤さんのシーンを稽古する。
 この二人は夫婦役。
 他の登場人物と比べると、言動はともあれ地に足のついた生活をしている。
 逆に言えば、地に足がついた生活をしている反動として、言動はやや乱暴だ。
 乱暴な言葉遣いをする夫婦だからこそ、相手の言葉に隠された真意を理解する能力に長けているという設定。
 今回の芝居の世界観においては、市井に生きる者の代表二人組というわけだ。

 二人の生活にはドラマもあり、その中を精一杯生きている。
 その精一杯さは他人からはうかがえないから、ふざけているのかとさえ見える。
 が、自分の人生を精一杯生きることを、
 (俺は自分の人生を精一杯生きてるぞ)
 と他人にアピールすることはみっともないのだから、自分らの大変さをアピールしない二人は、実は結構好きなタイプの人間である。
 えらいなあ、と思うし、かくありたい、とも思う。

 とはいえ、その思いは秘めたるものである。
 片桐は真面目な台詞を言おうとするとき、眉毛をあげる癖があり、そのことを今日発見した。

 須藤さんと芝居をするのは今回が2度目。
 前回は等身大の役をやってもらったが、今回は少し違った役だ。
 アップ時間に腹筋をやっていた。
 「おっ、えらいぞ」
 と言うと、
 「引き締めようと思って」
 と彼女は答えた。
 いいことだ。

 ノブ君、鶴マミ、そして俺のシーンを稽古する。
 とはいえ、ほぼ俺の場面の稽古に終始した。
 シーンを何度も何度も繰り返すが、いいアイディアは出ず。
 だが、アイディアを出す稽古は、無心になって繰り返し、あとは一晩寝てしまうのが一番いいと思う。
 翌日になると頭と体が整理され、思わぬ答えを体が勝手に示してくれたりするのだ。

 10時稽古終了。
 帰りにサミットでチーズかまぼこを買う。

 11時過ぎ帰宅。
 今日こそは1時前に寝ようと思ったが、日記を書いたりメールを見たり、サイトの更新をしたりしていたら、3時を過ぎてしまった。