ハッスル批判

 扇田昭彦『才能の森』読了。
 30年以上にわたる著者の演劇記者生活で、取材やプライベートで知り合った演劇人との関わりについて、エッセイ風にまとめたもの。
 扇田昭彦氏の劇評は、批判的な文章でも筆致が柔らかいのだが、それでも蜷川幸雄からロビーで怒りの反論をされたらしいし、安部公房には最後まで嫌われていたという。

 新宿梁山泊の江戸川はせをさんのことも書かれていた。
 この人の本名は畠山繁さんといい、元々は白水社の『新劇』編集長だった人らしい。

 つかこうへいが『熱海殺人事件』で岸田戯曲賞を受賞するのは1974年だが、つかこうへいの評論や戯曲はその2年ほど前から頻繁に誌面に載っていた。
 これは、畠山編集長をはじめとした編集部の強力なプッシュであり、つかこうへいが世に出るきっかけとなったと扇田氏は語っている。

 当時活字化された<つか作品>は、『熱海殺人事件』をはじめとして、『初級革命講座飛龍伝』『巷談 松ヶ浦ゴドー戒』『郵便屋さんちょっと』『出発』『戦争で死ねなかったお父さんのために』など。
 角川文庫に収録されたものを持っているが、現在のド派手なつか芝居からは想像もつかないほど、地味な戯曲である。
 それらの作品は、文学座アトリエなどで上演されていたのだが、つかこうへい自身が演出するようになってから舞台はどんどん派手なものになっていき、同時に活字化された<つか作品>はあまり出版されなくなっていく。

 新宿梁山泊の芝居は90年代の前半によく見たのだが、江戸川はせをという役者は覚えていた。
 他の役者と比べて声量も少なく、どこかひ弱な印象があり、
 (どうしてこの人がこの役をやっているんだろう?)
 と思った。
 その長谷川さんが、文庫本『熱海殺人事件』『戦争で死ねなかったお父さんのために』の解説を書いている畠山繁氏の芸名と知ったときは大変驚いた。

 夕方実家へ。
 ベーコンを焼き、パンに挟んで食べた。
 フライパンに残ったベーコンの油で、ミックスベジタブルを炒めて食べた。
 キュウリをごま油と醤油と唐辛子と塩こしょうで和えて食べた。

 PRIDEの榊原社長が記者会見を行った。
 フジテレビによる契約解除は、週刊現代に載った暴力団との癒着記事に関連し、ブランドイメージの維持を怠ったことによるものが原因という。
 PRIDE存続を願うファンも600人集まったという。

 ただ、榊原社長が<えらい人>にはどうしても見えない。
 イベントを大きくし、世間に認知させたことは社長の手腕かもしれないが、正直なところメインイベントまでじらす放送には心底うんざりしている。
 ハッスルにしても、バラエティーとしての演出はかなり痛いのに、プロレスという看板でごまかし、面白いかのような錯覚を与えている。
 『俺たちひょうきん族』の<ひょうきんプロレス>に、本物のレスラーを混ぜただけだ。
 確かにプロレスには<客に見せる>という要素はあるが、ハッスルに出場するレスラー達が培ってきた<見せる技術>は、WWEを彷彿させるハッスルの演出論とは別のものだ。
 さらに、ハッスルに出場する芸能人に、超一流のエンターテイナーがいるわけではない。

 B級芸能人でもリングに上がれば素人だ。
 一流レスラーもバラエティーで演じるのは素人だ。
 つまりハッスルは、素人しかいない状況を演出によって作りだしている。
 こうなると批判が無意味になる。
 (素人に批判してどうする?)
 (いや、むしろ素人なのによくやっている)

 ハッスルで評価できる点があるとすれば、批評できなくさせる技術が巧妙であるということのみである。