批判的に昔のマンガ読み

 昨日に続いて雨が降っている。
 梅雨前線は、1944年のドイツ軍によるバルジ大作戦のごとく、突如として日本列島を覆い尽くした。
 週末の暑さで、これから夏がはじまるものだとばかり思っていた我々は、完全に虚をつかれた。
 これはひとつの負け戦かもしれない。

 夕方実家へ。
 鰺の塩焼きを食べる。
 野菜の煮物があったが、なぜかたっぷりと塩がかかっていた。
 父親がそれに醤油をだばだばかけていた。
 一日あたりの塩分摂取量を完全に超えているだろうに。

 実家の自分の部屋はほとんど物置と貸しているのだが、随分前に買ったマンガなどが置いてあるので、つい寝ころんではそれらを読んでしまう。
 置いてあるマンガは、
 『B.B』
 『めぞん一刻』
 『サラリーマン金太郎』
 『おーい竜馬』
 『ストッパー毒島』
 『HEN』
 『北斗の拳』
 など。

 このところ、『おーい竜馬』を批判的に読み返している。
 やはり、武市半平太や岡田以蔵が竜馬と幼馴染みという設定には無理がある。
 その設定があるために、のちに後藤象二郎と手を組む竜馬の心理が納得できない。
 乾退助、後藤象二郎、山内容堂らは、悪く書かれすぎている。
 逆に、高杉晋作、勝海舟は、よく書かれすぎている。
 たとえば本宮ひろしが信長をマンガにした時は、設定があまりにもぶっ飛んでいたために、ここに書かれた歴史はフィクションだなと納得できた。
 『おーい竜馬』は、ぱっと見、ちゃんとした歴史を描いている風に見えるから、始末が悪い。

 そういえば、イエス・キリストの民間伝承のようなものを、学生時代に読んだことがある。
 使徒が語り広めることでつくられたイエスとは違った、別のイエス像があった。
 たとえば、植物に呪いをかけたら、その植物は枯れてしまったり。
 つまり、民衆のむしゃくしゃした気持ちを、伝承の中でイエス様がお晴らしになっているというわけだ。

 『おーい竜馬』も同じことだろう。