開高健に久々にはまる

 昨夜は実家に帰り、西葛西のスーパーで買った牛もも肉でローストビーフを焼いてみた。
 しかし、その店のもも肉ブロックは昔と比べて筋が多い。
 以前、筋を残したまま焼いて失敗したので、焼く前に切り落としたら、だいぶ小さくなってしまった。
 明けて今朝、それを切ってみたのだが、小さくなったことが災いし、中心まで完全に火が通り、赤いところが皆無という状況だった。
 これは、あまりおいしくない。
 失敗だ。

 実家に帰ったのは、本の整理をするためだ。
 無人島にでも漂着しない限り今後永久に読まないであろう本をまとめ、BOOK OFFにでも売り、あわよくばビール代くらい稼ごうかという魂胆だった。
 しかし、整理をしてみたら、どれもこれも売りようのない本ばかりだった。
 昭和51年出版の、ペン習字の本なんて、誰が買い取ってくれよう?
 しかも、その本は2冊あった。なぜ?

 結局、要らない本は捨てることにして、ヒモで縛ってまとめた。

 本棚の奥に、『バガボンド』があった。
 10巻まで。
 さすがに面白く、一息に読み干してしまった。
 これは捨てられん。

 昼に中華丼を食べ、夜はすしを食べた。小僧寿し。
 お袋様がイチジクのコンポートを作ったのでそれを食べる。
 彼女はこいつの作り方を、オレが小学2年生だか3年生だかの頃に覚えた。
 早速作り、おいしいおいしいと食べて、速やかに虫歯を悪化させ、40度の熱を出して寝込んだ。
 「そのことを覚えてる?」
 と聞いたら、
 「忘れた」
 と言われた。

 もらいものの泡盛があったので、それを持って西荻に帰る。夜10時。

 開高健『パニック・裸の王様』読む。
 短編集。
 これら一連の作品で芥川賞をとった。
 『パニック』は、車中で一息に読んだ。
 椎名誠さんの場合、失礼ながらルポやエッセイに比べて、小説の面白さが落ちる。
 ここ数年書いている私小説はかなり面白いが、完全なるフィクション作品は、なんというか、本好きの人が書いた習作という感じがしてしまう。
 面白いのだけど、エッセイや雑文の方が面白いから、読者としてはそっちを優先することになってしまう。
 開高健はさすがにそんな心配はしていなかったが、それでも予想をはるかに越えて面白く、久々にうなってしまった。都営新宿線に乗っていたから、曙橋から新宿三丁目にかけて、うーむが移動した。

 そういえば筒井康隆氏は、開高健を嫌っていた。
 SFを批判され、ある対談で小松左京をしつこくからかう姿を見て嫌いになったらしい。
 それでも作品は気になるらしく、『破れた繭 耳の物語』を売店で見つけると、つい買って読んでしまったという。

 開高健について筒井さんが怒っている文章は、『玄笑地帯』というエッセイ集に収録されている。
 刊行が1984年だ。
 おお、この年から筒井さんは、『虚構船団』『夢の木坂分岐点』『驚愕の曠野』『残像に口紅を』『文学部唯野教授』『朝のガスパール』『パプリカ』といった、弾丸のような作品を書いていくのか。
 片や開高健は、1989年に亡くなるまで、作家としては先細りになっていく。
 上り坂の人間と、その逆の人間。

 開高健のは1960年代からおよそ十年以上、世界各国を飛び回り、ルポルタージュを書いている。
 100人中生存者が17人というベトナムでの激戦地の他、五月革命のパリ、アイヒマン裁判のイスラエル、その他、東欧、ソ連、中国、アフリカ、その他世界の激震地を生き急ぐかのように見て歩いた。
 見れば見るほど、虚無は深まったのではないかと思う。
 70年代以降、開高さんはそうした国際情勢の前線に赴くことなく、釣りのルポばかり書いている。
 美酒に酔い、珍味に舌鼓を打ちながら。
 それは、退廃だったのだろうか。
 それとも、退廃さえ、人間のあるべき姿だったのだろうか。

 『パニック』はデビュー作というから、なお驚きだ。
 当時の開高健の写真を見ると、痩せて眼鏡をかけているから、もっと驚きだ。

  1. かに より:

    私はいつもドカさんの日記を読み、「次はこれを読もう」と思います。
    ついつい「読んでみたくなる」日記です。

  2. ドカ山 より:

    君はオレと同じものを読み、
    同じものを食べ、
    同じ音楽を聴きやがて、
    全身オレになるだろう。
    そしたら引越の時、
    荷物運び手伝ってくれ。
    たぶんバランスがいいだろう。
    服はオレのを着ればいい。

  3. かに より:

    わぁ。
    それはなんかとんでもない悪夢みたいですね?
    胸がわくわくします。