御礼と感謝

11時半に起きる。
部屋をほんの少し片付けてからうちを出る。
図書館に行き、借りていたCDを返す。
その後荻窪に向かい、マックで昼飯。
カウンター席にはコンセントのソケットがあるので、PCの電源を入れ、メールチェックをしようとしたが、公衆無線LANの設定を忘れてしまい、いったんPHSでネットに繋がねばならなかった。

PHSでネットを閲覧する速度は32Kbpsだ。
普段自宅で使っている時の速度は実測8Mbpsだから、256分の1というわけだ。
ヤフーのトップページを表示するだけで、十数秒かかる。
2001年以前はみんな、このくらいの速さだったのだがなあ。

夕方実家へ。
誰もいなかった。
冷蔵庫を開けると、茹でたカニが入っていたので、レンジで温めて食べた。

夜、いくら丼を食べる。

9月から3ヶ月、オーバーワーク気味ではあったので、その状態にむしろ体が慣れてしまったようだ。
公演が終わったら心身共に弛緩すると思っていたが、昨日一晩寝たら案外疲れはとれていた。
お客さんが少なかったことへの忸怩たる思いはまだ残るが、それによって鬱にふさぎ込む気配もない。
案外、今回の諸々を、ドライに考えている自分がいる。

3ヶ月間、楽しいことはほぼなかった。
(こんなに苦しいのに、なぜ俺は芝居をするのだ?)
何度も自問自答した。
が、考えてみたら、マグネシウムリボンで芝居をして楽しいと思ったことはあまりない。
最後に(楽しい)と思った公演は、4年前にやった『夏の子プロ・粗忽重ね』だろう。
あとは、『俺のつむじ風』くらいだ。

なら、やめればいいのか?
しかし、楽しくないのにやめられない。
なぜ、やめられないのだろう?

たぶん、楽しいという気持ちだけでは乗り越えられない、高い壁があるのだろう。
その壁は、演劇を続けている限りどんどんこちらに向かって迫ってくるものだ。
乗り越えるのか?それとも後戻りするのか?
一度、乗り越えるという決断を下したら、もう後戻りはできない。

若い頃は、楽しい公演しかしたくなかった。
だが、旗揚げ公演は見事なまでに苦しかったし、その次の公演ではストレスで仕事に行けなくなってしまったし、『暮れなずめ街』の時は公演終了後半年も引きこもりになってしまった。
その頃の自分は、公演をすることに<楽しさ>を求めていたのだと思う。
だから、辛すぎる公演があると、なにか運命に裏切られたような気持ちになって、精神的に過剰な反応をしていた。
若かったということか。

その後も辛く苦しい公演は多かったが、少なくとも公演から<楽しさ>を期待する気分はなくなってきた。
楽しくないのが当たり前だとさえ、思うようになった。
もちろん、時には楽しい公演もあるのだけど、そういうのは<ご褒美>だと思うようにしてきた。
たまにはこういうのもいいじゃねえか、みたいな。

今回の公演は、辛いことは多かったけど、芝居そのものには悔いが残らなかった。
初日の出に向かって、
「やれるだけのことを、使えるだけの時間を使って、やったぞ」
と、ぼそっとつぶやける程度に。

だがまだ、辛かったと感じるだけ、俺は甘いのだろう。
さらに先に行けば、それもまた<味わい>だと思えるようになるのかも知れない。
そうなって初めて、<楽しさ>とはどういうことなのかを考えられるようになるんじゃないか。
今は、そう思う。

公演中、親兄弟や恋人に死なれた人だっているだろう。
事故のため公演中止に追い込まれた人だっているだろう。
金を持ち逃げされた人だっているだろう。
それらの不幸に加え、芝居そのものも最悪だった人もいるだろう。
アンケートに「死ね」と書かれた人もいるだろう。
そういう人々に比べると、まだまだ俺は甘ちゃんだ。
多くの人が協力してくれたし、予約をして見に来てくれたお客さんもいた。
なんて幸せなことだろうと、皮肉でもなく思えるし、思うべきだろう。

そういうわけで、このブログを読んでくださる皆様の中で、
(塚本みたいな者は死ねばいい)
(えん罪で刑務所でも行けばいい)
(乗ってる船が沈没すればいい)
(悪い科学者に捕まって改造人間にされればいい)
などと思ってはおられない皆様には、
本当に、心から、感謝します。
思っておられる皆様は、小指をテーブルの足にぶつけた後、冬でも半袖の小学生にピンポンダッシュされれればいかがか。

今日はクリスマスでもあります。
私の脳内に、ケーキやら七面鳥の丸焼きやらシャンペンやらを用意しました。
私の脳内には皆様もおられますので、今宵はごゆっくりお楽しみいただきたい。
私自身は脳内にて、ブラックサンタの格好にて現れますので、
(なんだ、あの黒子?)
などと呼ばずにどうか一つ、おつきあいくださいませ。
そして今後ともどうぞ、ごひいきに。