しびれ

3日目。
11時に劇場入り。

昨日はえらく体が重かったのだが、二日続けて11時入りのおかげか、今朝は体が軽かった。
これで調子に乗ると、気持ちが浮ついてしまうから、気をつけないと。

2時マチネ開演。
日を経るに従い、どんどん良くなっていくシーンがある。
そんなシーンが近づくと、モニターに群がる役者が増える。

自分は今回の芝居で二回死んでいる。
一回目の死は冒頭シーンで、あまり深く考えることなく死んでいる。
二回目の死は重要なシーンで、そこがうまくいかないと自分の役が何のために存在しているのかわからなくなってしまう。
死ぬシーンだと考えない方がうまくいくんじゃないかと、稽古途中で思っていた。
見た目は死そのものなのだけど、死の限界に近づいてはじめて生の意味を知るみたいなあり方の方が、多くのものを相手役の夏候惇に伝えられるような気がする。
ただ、そのシーンでは演出的に夏候惇と別の空間で芝居をしているため、相手に伝わったかどうかこの目で判断できない。
相手役である今日平くんの声から、こちらの意思がどれだけ届いているかを計っている。

そういう風に気持ちを純化させたシーンなのに、足がしびれる。
座って1分弱話しているだけなのに、足がしびれる。
そういうことが気になってはいけないシーンだ。
だから本番に入っても、今ひとつ突き抜けきれない。
まだ、情念のエネルギーが足りないのか。
それとも集中力不足か。

マスク着用の春装備でモチメが観に来た。
それから西野愛美ちゃんが、知人を二人つれて観に来てくれた。
制作の尾崎さんや石井さんの劇団に彼女は客演したことがある。
そんなところにも知人は通じている。

7時ソワレ開演。
大学の後輩・木村君。
中山君と荻野君。
阪上君と綾香。
そして鶴マミが観に来てくれた。
ありがたい。

終演後、木村と話す。
「いや、面白かったっすよ!」
と言ってくれた。
「俺、あまり三国志知らないんですけど、普通に楽しめましたよ。ラストの殺陣、すごいっすねえ」

ミーティングを劇場裏口で終え、オギノ君達が飲んでいる店へ。
鶴マミから色々な話を聞き、ただただ驚く。
中山君とオギノ君からマグネシウムリボンの再演話を振られるが、今のところ自分ではわからない。
今回客演したことで、やりたいことが随分変わってきたのを感じるし、もしもこれからしばらく客演を続けたら、その変化はもっと大きなものになるだろう。
たとえば人間関係も変わっていくだろう。

マグネシウムリボンの次回公演はまだ詳細未定だが、どういう形になるにせよ、それまでにもっと色々なところに客演をしたい。
「世の中には色んな人がいるんだなあ」
という台詞を、もっと言いたい。

時間があまりなく、鶴マミやオギノ君らとあまり話すことができずに終わった。
もっとじっくり飲んで話す機会があればいいのだが。

1時帰宅。
村上春樹訳『グレート・ギャツビー』読了。
昨年2月に読んだ『キャッチャー・イン・ザ・ライ』同様、『グレート・ギャツビー』も野崎孝の訳したものを以前読んでいる。
そして『ライ麦畑でつかまえて』同様、『グレート・ギャツビー』の野崎訳も、読んだ時はよくわからなかった。
(なにが面白いんだ?)
と、本を閉じてきょとんとしていた。

今回、村上春樹版『グレート・ギャツビー』を読んでまず最初に思った。
(こんな話だったんだ)

野崎孝訳の新潮文庫を読んだのは二十歳の時だった。
そして、おそらく当時の俺が村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』を読んでも、面白さはまるでわからなかったろう。

レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
スコット・フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』
村上春樹が決定的に影響を受けたのは以上三作品。
『長いお別れ』は『羊をめぐる冒険』に影響を与えている。というより『羊をめぐる冒険』自体『長いお別れ』へのオマージュだ。
『カラマーゾフの兄弟』は、『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』に影響を与えている、のかな?
では『グレート・ギャツビー』は?
『ノルウェイの森』かなあ…
作中、主人公が『グレート・ギャツビー』を読むシーンがあるし。
ひょっとすると長編ではなく短編かもしれない。