椎名林檎と上京少女

残暑、ややおさまる。

『カラマーゾフの兄弟』新訳版。
やはり読みやすい。

夕方、久しぶりに『青葉』でラーメン。

夜7時過ぎ帰宅。
9時過ぎジョギング。
電通研究所前まで。10K。
筋力・体力、共に回復。
1時間弱かけて走る。

夜、久しぶりに椎名林檎の『無罪モラトリアム』を聴く。
リリースから8年経つが、いまだに普遍的な魅力を放っている。
どの曲も素晴らしいが、やはり「歌舞伎町の女王」には、椎名林檎の存在を決定づけた特別な意義がある。

地方を出て、母のたどった人生をなぞるかのように、歌舞伎町にたどり着いた娘の物語。
今さら歌詞の説明は不要だ。
この歌は地方出身者の女の子達に<上京少女>という強烈なアイデンティティを与えた。

1999年当時18歳から23歳くらいの女の子達にとって、この歌は<歌舞伎町王国>の国歌であった。

上京少女の寿命は短い。
1年2年と住むうちに、かつて緊張感を孕んでいた都会と自分の関係は、<住む>とい行為によって日常に包まれていく。
いつの間にか彼女たちは、自分がもはや上京少女ではなくなっていることに気づく。

椎名林檎も、同じ道を歩んだのではないだろうか。
『唄ひ手冥利?其ノ壱?』に収録されている「木綿のハンカチーフ」を聴くと、「僕は帰らない」という歌詞が、椎名林檎自身の姿と重なる。

もう故郷へは帰らないと歌った後、椎名林檎は<東京事変>を結成した。
グループ名に入る<東京>の意味は、我々が考えているよりもずっと重いんじゃないか。

そんなことを『無罪モラトリアム』を聴きながら考えた。