『ヒミズ』が映画化された

7時半過ぎ起き。
トーストとハム食べる。

『ヒミズ』が映画化された。
知人が観に行って、Facebookに感想などを書き込んでいた。
この漫画が連載された時のことを思い出す。
2001年だったか。
前作『グリーンヒル』がとても好きだったので、同じような作品を期待していたが、第1話を読んですぐに、この作品はギャグマンガではないとわかった。
ある意味、期待を裏切られたと言ってもいいが、期待を裏切ってくれることを期待してもいたから、不満はなかった。
それに、『稲中卓球部』の頃から、ギャグの中にシリアスな問いかけがあったりしたので、意外には感じられなかった。
ただ、その方向をどこまで突き詰めるつもりなのかわからず、不安でもあった。

結果的に『ヒミズ』は、アンチハッピーエンドの作品となった。
それほど長い話じゃないのだが、コミックスを一気に読むと、あまりの救いのなさに気分が落ち込んでしまう。
次作の『シガテラ』になると、不幸を表現するということへの徹底さは失われ、笑える場面も沢山出てくる。
ホラーやスプラッタ、もしくはギャグを、ことさら描こうとするのではなく、日常を描写し続ける結果、それらの要素すべてが入ってくるというところが、きわめてユニークだった。
それこそが<古谷実ワールド>なのではないかと思う。

つまり『ヒミズ』は、古谷実ワールドが完成する前の、過渡的な作品であるともいえる。
過渡的である故に、様々な要素を付け加えることが出来る。
『ヒミズ』が映画化された一番の理由は、そこではないかと思う。

夜、東武練馬で稽古。
相手役の久未ちゃんが来たので、稽古参加日程などを打ち合わせる。
現在、別の舞台の稽古にも参加しており、そちらの方が先にオファーを受けた関係で、来られる日が限られてしまうのだという。
条件は自分も似たようなものだ。
だが、台本を読み合わせてみると、実はそれほど台詞のやりとりが多いわけではないとわかった。

久未ちゃんの近況などを聞いてから、場面を立ってやってみる。
設定が先んじ、言葉が嘘くさくなってしまう。
こなれるまで、繰り返し稽古がしたいものだが、その時間をいつ取るかが問題だ。

10時半帰宅。
帰った途端、疲れがどっと出た。