扉が不意に開く時

9時半起き。
昨日買っておいた栗ご飯の素で、炊き込みご飯を作る。
11時過ぎ、遅めの朝食。
炊き込みご飯、豆腐と油揚げの味噌汁、白菜漬け、卵とミックスベジタブルの炒め物。
浅漬けがあると、朝ご飯っぽくなる。

午後、『世界史』下巻を読む。
返却期限が過ぎているので、優先的に読まなければいけないのに、なかなか集中できなかった。

夕方、炊き込みご飯にポークソテー。
肉に小麦粉をはたくと肉汁が出にくくなり、結果柔らかい焼き加減になる。

3週間前に届いた本棚を組み立てる。
それをやる気力がずっとなかった。
いざ組み立ててみると構造は簡単で、完成まで30分もかからなかった。
部屋の角にあるすき間スペースにぴったりはまった。
床に積んでいた翻訳物系の文庫本を入れるが、奥行きが余る。
奥と手前の2列にすると、奥の本が取りづらいし。
なにかいい方法はないだろうか。

9時過ぎ、走りに行く。
阿佐ヶ谷まで往復。
6キロ弱か。
昨日久しぶりに走り、今日は腿の筋肉が少し痛かった。
来年のフルマラソンをどうしようか、少しだけ考える。
一応東京マラソンには今年もエントリーしたのだが、倍率が10倍を超えるらしいので、あまり期待していない。
当たったとしてもマグネシウムリボンの公演を予定しているので、日程が近いとトレーニングはほぼできない。
友人の小山がしきりに、長野マラソンに誘ってくれたので、もし東京マラソンに落ちたら長野にエントリーしてみようかと思っている。

夜、自分の中に潜むさまざまな感情について考えさせられる。
何年も昔のことを、さっき起こったことのように記憶していて、それが人間関係に影響を及ぼしている。
関係がこじれそうになり、こちらから話し合うためのアプローチをしたのに、断られたり無視されたりすると、自分の場合その人間関係は修復できなくなってしまう。
人間関係を絶つには、かなりの覚悟がいるが、こちらが腹をくくって断っても、相手には伝わらない。
そういうことが、過去、二回ほどあった。
いつもは忘れている。
だが、何かの拍子に思い出すと、その時のやりとりや、ひどく傷ついた記憶が、鮮明な形で思い出される。
そして、改めて傷つけられる。
傷つけているのは相手ではなく、自分が作り出した相手の幻影だ。
それはわかっているから、改めて相手に対して怒りをぶつけることはない。
傷つき損だ。
だから思い出さないのが一番いい。
それでも、何かの言葉がきっかけに、突然目の前にそのシーンがフラッシュバックする。
心がずきずきする。

それでも、怒りには寿命があって、かき立てられる怒りは年々小さくなってもいる。
思い出す場面の鮮明さは変わらないのに。

酒を飲んで、なおかつ心が無防備な状態にあり、それにキーワードが重なると、心の闇の扉が開いてしまうようだ。
予想がつかないから始末に負えないが、こうして書くことで、少しは防御力があがるかもしれないと考えている。

『世界史』下巻、夜中の3時に読了。
自転車で図書館のポストへ返しに行き、公園のベンチで涼んでから帰宅。
4時就寝。