あとはできることがない

朝から仕事。
昼、久しぶりに「天下一品」へ。
食べる毎にスープの味が塩辛く感じるようになっている。
最近、走っていないからだろうか。

夕方、浜田山で稽古。
飯田橋、九段下、明大前と乗り換える。
稽古場には6時半過ぎ到着。

『走馬燈』の前半抜きをやる。
8時前に潮田くん来る。

短編の順番を決めた。
「先輩役者」
「バカコン」
「絶滅した種族」
「禁煙席」
「プーチン」
「鼻歌女」
「決闘」
「野球部」
「走馬燈」

「野球部」の前半が、さわやかな感じになっているのと、「走馬燈」の前半が賑やかになっているのとで、つなげても重くなりすぎないと判断した。
内容的にも、つながり方がとてもきれいになる。

真希ちゃん、衣装を買ってきた。
薄い小豆色という感じで似合う。

潮田君の前で、順番通りに『鼻歌女』まで通してみた。
一つの作品がどれもちょうど10分前後。
『絶滅』だけ少し長い。

時間の関係で、『決闘』と『野球部』はやらず、『走馬燈』を通す。

自分個人で台詞を入れるより、本来はキャスト同士で覚え合っていくのが一番いい。
今回の場合、抱えている台詞量に差があり、知恵ちゃんが大変なことになっている。
どれも違う演技をしなくてはならない。

『走馬燈』のラスト、まだ重さがある。
というより、役者が重さを感じながらやっているような感じになっている。
重さは重さとしてあっていいのだけど、それを役者が、表現という別物の器に盛った上で出さないといけないのだけど、それには、隙があったら読んでいくしかないのだと思う。
『ドッペルゲンガーの森』のラストを、鶴マミと綾香で稽古した時が、まさにそういう感じだった。
『掃除屋』のラストもそうだったと思う。
思い出してみると、そのシーンの稽古時間は決して多くはなかった。
器に盛る、ということが出来るのを、繰り返し稽古しながら待つ、という感じだった。
キャスティングして、台詞を振る時点で、盛ることが出来る人にしかそういう場面は作らない。
ただ、そういう場面の経験を通じて、役者としての成り立ち方が大きく変わることがあるので、やっぱり、二人にはやってもらうしかない。

考えたくはないが、いざと言う時には、数時間もらって、自分が場面を作り直すこともできる。
それはそれで、一つの道だけど、一時停止と同じだ。

稽古後、潮田君を誘って飲む。
芹川と男三人になる。
去年も行った、女性店員だけの居酒屋で、相変わらず応対がとても良かった。
潮田君、『禁煙席』にほっとしたと言っていた。
前に見た時は、責める側と責められる側の区分けが曖昧で、とても見づらかったという。

その他、色々意見を聞く。

11時半に店を出る。
吉祥寺経由で、西荻から歩いて帰宅。

残った作業、稽古の反省点、その他、色々な心配事が、帰宅した瞬間心を占拠する。
本番が近くなると、毎度のことだけど。

仰向けになって呼吸法をやって、心を落ち着かせる。
信じる以外、あとはできることがない。