『進撃の巨人』が頭を占拠してる

どんよりした日曜日を過ごし、4時間ばかりの睡眠を経て起きても、気分は晴れていなかった。
トンネルを抜けても曇り空のままという感じ。

仕事中、k君とそういう話をしたら、
「僕も五月病ですよ」
という答えが返ってきた。
五月病を意識したことはないが、似たような状態にはけっこう罹っているので、昨日はそれだったのかなと思う。

昼過ぎ、マグ不足出演者のメーリングリストを調整するが、届かないという人がちらほら出る。
メーリスの設定は毎回こういうことがある。

夜、ソーセージとザワークラウト食べる。
昨日ホットドッグに挟んで食べた時、酸味がついていてとても美味しかったが、一日経つとさらに酸味が増していた。
計算すると、先週月曜日から常温で3日漬けて、木曜に冷蔵庫へしまい、漬けて6日後の昨日で酸味がついていた。
今日がちょうど一週間後。
ネットで散々レシピを調べた限りでは、2週間漬けて、一冬持たせる人もいる。
乳酸菌の酸味が強くなるほど日持ちする道理だから、あっているとは思う。

二村ヒトシ本、少し読む。
恋と愛の違い、そして、自己肯定が自分への愛で、ナルシシズムが自分への恋という区分けに、なるほどなあと思う。

『進撃の巨人』アニメの7話観る。
4月に放送が始まってから、各方面で話題を呼び、単行本の売れ行きは跳ね上がっているようだ。

(だって、俺までアニメ見ちゃってるほどだものなあ)

と思いながら見る。

コミックスを読み、初めはその物語設定に惹かれていると、自分で思いこんでいた。
でも、読み返すうちに、なにか根源的なものに惹かれているんではないかと思えてきた。
その答えがアニメ7話の、「人類の怒りを体現」というセリフにあったような気がした。
同時に、この作品は多くの人に、そうやって分析することを強いる、奇妙な力を持っていると思う。

連載が始まったのが2009年で、作者は新人。
でも、最初の二話でおそらく、編集部は「巨人を推していこう」という体制を整えていたんじゃないか。
これは、作者の才能にあるのではなく、物語の力によるものだと思う。
諫山さんは作者であることは間違いない。
でも、彼は無からこの物語を作ったのではないだろう。
人類が共通に持っている無意識の暗闇から、多くの人を惹きつける要素を、漫画の形で引っ張り出したのだと思う。
それは物語の力であり、諫山さん自身もおそらく、この物語に「描かされている」と感じることがあるのではないだろうか。

分析せずにはいられない漫画だが、素直に鳥肌立てて楽しむのが一番いいよ。
「あれなあ。どうなんだろうねえ」
とか言ってる人とは喋らず、俺は俺で勝手に楽しむよ。