グレイルクエストとドラクエ

7時半起き。
昨日こねておいた生地でうどんを作って食べる。

昼、セブンでコロッケパンを買って食べる。

午後は、マグ関係の作業。

夕方、解答した挽肉で麻婆豆腐を作って食べる。
陳建一のレシピそのまんま。

ドラクエ8を少しやる。
3Dでフィールドを歩くことに違和感があって、手をつけたままだった。
年をとり、RPGという形に熱狂できなくなっているのもある。
だが、少し進んでから、海辺にある街の景色に感嘆してしまった。
坂を下ると海が近づいてくるのだ。
いい眺めだなあと思った。
そして、堀井節は会話のそこかしこにあった。
ニヤニヤさせられた。
いい翻訳者がいないと、英語圏のユーザーには伝えられないはずだ。
だから海外でのドラゴンクエストは、日本ほど有名ではないのだろう。

ウルティマ6をスーパーファミコンでやった時、独特の台詞回しに当惑したが、英語圏のユーザーにはニヤニヤ要素が多かったのではないか?

『ドラゴン・ファンタジー』シリーズというゲームブックがあった。
サイコロを使って遊ぶ、RPGのようなゲームブックで、アーサー王と円卓の騎士をモチーフにしていた。
二見書房から翻訳出版されており、いくつか持っていたのだけど、台詞がユニークで実に面白かった。
Wikipediaにも載っていた。
正式名は、グレイルクエスト、というらしい。

この本を読んだのは、ファミコンでRPGというものをやり始めた時期と重なっている。
初めてプレイしたRPGはハイドライドスペシャルだった。
今思えば原始的なシステムだったけど、経験値という概念だけで当時は十分楽しめた。
次にやったのがワルキューレの冒険で、ハイドライドとは比較にならぬマップの広さと、スクロールの滑らかさに度肝を抜かれた。
ゲームをクリアするとエンディングにスタッフロールが流れるのも衝撃的だった。
だが、どちらのゲームもセリフという概念はなかった。
ゆえに、物語という要素もなかった。
グレイルクエストは、だから、ファミコンとは別の次元で楽しむものと捉えていた。

その次にプレイしたのが、ドラゴンクエストだった。
最初は、RPGというよりは、アドベンチャーゲームのひとつという認識でプレイしていた。
エニックスからその前に出ていた、「ポートピア連続殺人事件」の進化版といった感じで。
ところが、やってみると、ゲームの感じがグレイルクエストにとてもよく似ていた。
自分に話しかけてくれる街の人がいて、そこからヒントを得て、フィールドを旅して、アイテムを揃えて、モンスターと戦って、レベルを上げて。
そのどれもが、グレイルクエストにある要素なのだった。

もちろん、当時のファミコンソフトはROMの容量が8KBほどしかなく、その中にプログラムやグラフィックデータや、セリフまで詰め込まなくてはならなかったために、グレイルクエストのような長いセリフなんて考えられなかった。

にもかかわらず、短いセリフの一つ一つには、味があった。
他メーカーが続々とリリースした亜流RPGのセリフと比べても、一目瞭然だった。

RPGのセリフは、恋愛における口説き文句のようなものだと思う。
つまらない言葉で、百年の恋が冷めるのと同じことが、ゲームにも起きる。

いや、起きない人もいる。
見た目重視を否定はしない。
それはそれでいい。

食事を質素にしたおかげで、お腹の張りが収まってきた。
もう少し収まったら、久々にラーメン二郎に行きたい。
一回行けば、しばらく行きたくなくなるだろう。
そのタイミングでファスティングをして毒抜きをし、台本書きだ。