今田さんの喋りを堪能

なんだかわからないが2時半に起きた。明かりをつけて本を読んだりネットを見たりして、そのまま朝まで起きていた。朝飯にホットドッグを作って食べた。ザワークラウトの残りをすべてさらえた。

9時から2時間ほど寝たが、それほど眠くはなかった。昨日買ってきた鶏肉があったので、クリームシチューを作る。ルーは2月くらいに買ったもの。今年の2月は毎日弁当を作っていた。芝居をやらなくなると自炊をする。逆に言えば、毎日なにか食べるものを作っている時は、芝居から遠ざかっているということになる。

今年は4月にひと月休みがあったが、5月の連休明けから仕事が始まった。同時にマグ不足の稽古も始まった。1月からずっと弁当生活だったし、4月はうどんまで自分で打っていたが、仕事と稽古の日々で5月下旬には何も作らなくなっていた。その少し前、業務スーパーで赤だしを買ったが、開封することなく賞味期限を過ぎてしまった。切り干し大根、ひじきもそうだ。

クリームシチューはうまく出来た。レシピに忠実に作る時とそうでない時とある。今日は忠実日。昼飯にトーストと一緒に食べた。

午後、また昼寝。しかし3時前に起きる。寝たりないはずだが眠くなく、でも頭がフラフラしている。調子が良いのか悪いのかわからない。結局起きた。
夕方、サミットで買い物。ロースのステーキ肉を買う。昨日はサーロインだったが今日はロース。筋切りと、脂身のカットをしてから焼いた。30秒ずつひっくり返して3分焼き、火を止めてから蓋をして5分待つ。昨日と同じ焼き方。
うまく焼けたと思う。そもそも安い肉だ。レアで食べることはないのだ。

サラ・ウォーターズ『黄昏の彼女たち』下巻読了。時代は第一次大戦後のイギリス。決して人並み優れているわけでない普通の女性二人が、恋に落ちてしまう。個人の力量ではどうにも出来ないさまざまなことが二人の身にふりかかる。二人は精一杯誠実に対処するが、普通の人間だから、ミスもするし、読者からみれば感情移入しかねる反応をする時もある。でもたぶんそれは、読んでいる我々がそうなった時にそうするであろう反応なのだ。上巻では磨かれた純愛だったのが、みるみるうちに形を変える。なんて意地悪な作家だろうと、賛嘆の思いを抱きつつ読んだ。ふと、手塚治虫先生だったらどう書いただろうと思った。「僕はもっと面白く描く自信があります」とか言いそうだし、実際描いてくれそうだから天才は恐ろしい。

鶏肉がもう一枚残っていたので、チキングリルにする。一昨年の春、よく作っていた。こうやって、すぐ食べるわけでもないのに料理をするようになると、いよいよ芝居から遠ざかってきたのだなと思えてくる。

こたつを出した。ホットカーペットがあるので、こたつそのもののヒーターは使わず。

「ボクらの時代」今田耕司、板尾創路、木村祐一の回を観る。今田さんの喋りを堪能。エピソード語りの名人。最近公開された映画「火花」の監督を板尾さんがやっている。そのまま映画のキャリアを重ねていくのだろうか?
90年代中期、ダウンタウンの周りに、今田、東野、板尾、ホンコン、山崎、木村がいるという布陣は、なじみ深いものだったし、新しい笑いを作る予感に満ちていた。若者だったオレは、その予感に導かれるように、沢山の番組を毎週録画していた。
要するにそこは、創造的な場だった。だから板尾さんが映画監督になってもちっとも意外に思えない。

今田さんは形にする才能より、さんま紳助寄りの、語る才能に溢れている。「やりすぎコージー」とまではいかなくても、今田さんがただ喋るだけの番組、出来ないものか。