洋楽の分水嶺

昨夜「武器よさらば」を読み終えた。ヘミングウェイの長編を読むのは初めてだった。予備知識はゼロだったので、ラストの余韻を素直に味わうことが出来た。リナルディ、神父が印象的。ダイアローグが魅力的。訳がいいのだろう。

7時前起き。朝飯を食べる。御飯、鮭、大根おろし、納豆。今日は寒いとニュースで言っている。
昨日のうどんの残り汁は、昼にまたうどんにして食べると母が言った。
「今度、健一から、なすか食いたいとメールが来たら、どうやって食べたいか返信しろ」と父が言った。
「なすが食べたい、なんてメールは、さすがにしないよ」とオレ。
「あたしだって、鍋のシメはうどんってことくらい知ってるわよ。昨日あんたからメール来た時、じゃ、シメのうどんしようって思って、鍋にしたのよ。でもあんた、うどん食べたいなら、先に盛っておこうと思って」
「突っ込みどころが多すぎだよ。なんで鍋にしようって思ったの」
「食べたかったんだもん」

7時50分に実家を出る。8時半から仕事。昨日の続き。といっても、延々と、ああだこうだ考えるだけ。

昼、ミニストップでツナサラダとチキン食べる。チキンは辛口で、食べると汗が出た。ちょっとだけ外に出たら、寒さですぐに収まった。

「武器よさらば」を読んで、第一次大戦のことが気になったので、Wikiで調べる。西部戦線は防御の優位性ゆえに膠着し、近代兵器を使った戦争がどういうものか、知る人のないまま行われた。イギリスとフランスは第一次の死者の方が第二次よりはるかに多い。突撃する時、散開して身を低くしながら遮蔽物から遮蔽物へと移動していく動きが、当たり前でなかったかもしれない。固まっていっせいにわーっと攻め寄せれば、みんなやられるに決まっている。死体の大量生産だ。そんな戦争を経験してこその厭戦だ。日本も、日露戦争の旅順攻略線が延々と続いていたらどうなっていたか。痛み分けの講和で終わっていた方が、のちの歴史を思うと、良かったのではないかという気がする。

6時半帰宅。豆腐、納豆キムチ食べる。

今年が容赦なく終わっていく。2017年。平成29年。平成になってから西暦で考えるようになった。だから1987年当時は、80年代を生きてるなんて思わなかった。昭和60年代を生きてると思っていた。

80年代は洋楽ブームが長く続いたが、87年あたりから急速にしぼんでいった。洋楽を聴かなくても、日本のバンドで事足りるようになった。
リック・アストリーと、リチャード・マークスが嫌いだった。ジョージ・マイケルの “Faith” も嫌いだった。ティファニーも嫌いだった。翌年88年、大好きだったホール&オーツがアルバムを出したけど、好きじゃない音だった。
要するに、87年頃からの流行の音が、ことごとく嫌いだった。だからジョージ・ハリスンが「セット・オン・ユー」で1位を取った時は、自分がビートルズファンであることを差し引いても、生っぽい感じの音が1位になったことが嬉しかった。
カーズが、このたび、ロックの殿堂入りを果たした。80年代、好きなバンドだった。でも87年以降はアルバムを出さなくなった。1987年は洋楽において、分水嶺となっているのではないか。