三国志のオリジナル武将

8時半起き。セブンイレブンの親子丼を朝飯に食べる。

大掃除をする。ガスレンジと電子レンジなど、キッチン周りを綺麗にした。洗濯をし、衣類の整理をした。寝室の掃除をしてから、昼飯に、カムジャ麺に蕎麦を足したものを食べた。アレルギー反応は出なかった。

掃除がひと段落ついてから走りに行く。年末年始の休みは、必ず一日に1時間走ろうと決めた。距離ではなく時間設定なので、8キロの時もあれば10キロの時もあるだろう。信号とかあるので、ロードワークで1キロ5分台はけっこう危なかったりする。そもそも普段走りで早く走ることはない。だりー、とか思いながら走り始め、2キロくらい過ぎたあたりで調子が出てくる。

方南町から南へ住宅街を抜け、甲州街道を東へ曲がり、中野通りとの交差点に着いたところでちょうど30分になった。そこから、元来た道を折り返した。往復ちょうど60分。距離は8キロちょっとだった。途中、信号で止まったり、写真を撮ったりしたことを勘定に入れたとしても、かなりゆっくりとしたペースだ。

夜、セブンの麻婆丼食べる。コンビニ食で食事をまかなうなんて、10年前には考えたこともなかった。セブンの商品の進化がすごいからなのだ。

「幻想水滸伝」をスマホでクリアした。相当前にプレステでやった時は、仲間を全員揃えることができなかった。今回は、一時セーブをフル活用し、死んだら直前からやり直すという卑劣な技を、ようしゃなく使ったので、それができた。

昔持っていたプレステはドラクエ7のために買い、クリアしてからはほとんど触らなかった。ドラクエ7は発売日が伸びたので、プレステを買ったのはドラクエ7が発売される1年近く前だった。プレステで他のゲームをやっていたのは、ドラクエ7が発売される前の一年弱だ。

光栄の「三国志」をよくやっていた。ゲームの世界観を楽しもうという気はさらさらなく、オリジナル武将の作成に血道を上げた。自分の名前の武将を作り、そのことを忘れてプレイしていたら、厳白虎の後をオレが継ぎ、その後、孫策を滅ぼし、甘寧を従え大暴れしていた。現実のオレは劉表でプレイしていた。納得いかなかった。しかもゲームのオレは、同盟を結んでくれなかった。

ドラクエ7をやっていたのは2000年の秋で、この「稽古場日記」をすでに書き始めている。が、いつ始めて、いつクリアしたのか、まったく書いていない。当時はまだPCを持たず、日記の更新は実家にいる時に限られ、プレステをやっている時は、PCに触れられないという状況にあった。10月から11月にかけてプレイしていたような気がする。その頃のことをまったく思い出せない。

三国志のパソコン版は、2004年に「三国志10」をやっている。この時もオリジナル武将を沢山作った。もちろん自分の名前の武将も作った。データ改造ソフトを使って、武力や知力などの値を10000にした。最高で100や200のところをそんな値にしたものだから、ゲームバランスは狂い、戦闘場面でオレのいる部隊と接触した敵軍は、瞬時に世界から消滅した。
「そんなことやって楽しいか?」
と、誰かに言われた。そして自問した。答えはすぐ出た。
「超楽しいね!」
「最初からそんだけ強かったら、あっという間に天下取れるじゃん」
「そうなんだ。だから、天下統一に、あまり興味が向かなくてさ」
「統一するのが、ゲームの目的だろ?」
「だけど、ここまで自分を強くすると、ゲームが仕事みたいになって、面倒くさいんだ」
「やる意味ねえじゃん」
「いや、あるんだよ」
「どこに?」
「歴史をかき回す快楽を得る。たとえば、名だたる武将すべてを一騎打ちで倒したり、君主になって捕虜を粛正しまくったり」
「ツカモト、お前は政治家にならん方がいいな。ポル・ポトみたいになるぞ」

それはどうだろうか? と思った。困難を解決してクリアするからゲームになるというのはわかる。でも、2004年の時点では、実人生が困難だらけだった。現実が困難に満ちているのに、なんでゲームでも困難を解決しなきゃいかんのだ。現実で絶対やらないからこそ、ゲームでそれをやることが、ゲームになってるんじゃないか。そんな風に思っていた。

いずれにしろ、三国志10はその後も飽きることなく、けっこう長く遊び続けた。統一寸前で突然放浪し、群雄割拠の時代に戻してからまた統一するとか。大国をちょうど真っ二つに分けるように占領したりとか。

結論からいうと、もう、ゲームには飽きた。「幻想水滸伝」はいいゲームだが、卑怯な技を使わないでまともにやれと言われたら、仕事みたいに感じたことだろう。

たぶん今、やって面白いだろうというゲームは、実際に人とやるゲームだ。麻雀とか、ブリッジとか、モノポリーとか、人生ゲームとか。