何をしたいんだ?

寝坊しているような感じがあった。ベッドの中で今何時か考えた。まさか昼過ぎじゃないだろう。10時半だろうか。あと少し寝たら起きよう。けどそんなに眠くない。なら今起きればいい。なぜ起きない? 起きるか? 起きよう。

起きた。時計を見ると9時半だった。1時間得をしたような気がした。そうめんと蕎麦を茹でて食べる。蕎麦は50本。口の中も喉も痒くならない。一気に量を二倍増やすのは危険か? だが、この一週間、蕎麦をちょっとずつ食べてみたことで、アレルギーの反応が、昔のように激烈なものではなくなっていることははっきりした。最後に、蕎麦アレルギーの反応を体験したのは、20年前のことだ。立ち食いそばのミニ蕎麦を食べて、胸焼けを起こした。ミニ蕎麦の量は袋入り蕎麦の半分くらいだろう。乾そば50本だと、まだその量には至っていない。焦ることはない。ちょっとずつ増やしていこう。

「ヘイトフル・エイト」見る。タランティーノ作品は、「ジャッキー・ブラウン」以降のものは見ていない。見る機会がなかった。機会とは、見る機になるタイミングを指す。
160分の長尺ものだが、6章に分かれており、章ごとに切りのいいところになるため、長いとは思わなかった。
1章から4章までは、時間順に物語は進行し、5章で1章より前の場面が展開し、6章で本筋に戻る。
サミュエル・L・ジャクソン、ティム・ロスを見ると、タランティーノ映画を見ているのだということが実感できる。
2000年代のタランティーノ作品は一本も見なかった。「キル・ビル」でさえも。自分の中に、90年代的なものへの倦みがあったのだろう。
この前見た「トゥルー・グリット」と時代設定がかぶる。南北戦争後のアメリカ。そして「ヘイトフル・エイト」に出ているカート・ラッセルは、「トゥルー・グリット」のジェフ・ブリッジスに似ている。ティム・ロスも久しぶりに見た。懐かしいと思った。シチューがうまそうだった。
盛大に殴り、吐き、殺す、90年代と変らぬタランティーノ節だった。美術が素晴らしかった! あのセットがなかったら、一気に安っぽくなっていた。種田陽平。

ローストビーフをまた作った。140度で1時間焼いた。時間をかけて火を通した方が、仕上がりが柔らかくなるらしい。ヨークシャープディングも、見よう見まねで作ってみた。グレービーソースがたっぷりあれば、おいしいだろうと思った。出来上がりは、もっちりしたシュー皮。皿に残ったソースをふき取る、食べられるナプキンといった趣。ローストビーフは上手くできた。おととい作ったものより、肉汁が含まれているような気がした。

デスクトップPCにSSDを1台とHDDを3台接続している。ふと、つなげすぎじゃないかと思った。HDDは2台でいい気がする。3台つなぎにしてから、USB接続も不安定になった。電源が一ぱい一ぱいになっているのかもしれない。内蔵HDDを4TBのものにして、2TBの2台は取り外し、外付けケースに収納して余生を送って貰おうかと思う。

今使っているPCも今度の3月で丸四歳を迎える。昔だったら4年の月日がもたらす技術革新は、四歳の自作PCを浦島太郎にしてしまっただろう。だが最近、その世界でもアンチエイジングが進み、うちの子はまだまだ現役だ。これ以上早いマシンは、4K映像の編集をサクサク行いたくなったら、必要になるかもしれないが。

机とテレビ台とソファ。これらを刷新したい。テレビ台は9年、机は6年、ソファは4年使っている。通販の安物だ。このうち、一番機能してないのはテレビ台だ。テレビを見ないのだから仕方ないが、だったらもっと場所をとらないものはないかと考える。いっそ取っ払って、今使っているテレビは実家に寄贈し、もっと大きいサイズのテレビを買おうか。テレビである必要はない。映画さえ見られればいいのだ。

三、四年に一度のペースで、部屋のレイアウトを変えたくなるいつも間取りに対してテトリスをプレイすることになり、失敗することが多い。見た目より、快適に機能していないと、失敗したと思う。ソファは前の部屋にいる時は使い方に失敗していたが、今の部屋に来てからは座る時間が増えた。机もそうだ。機能していないのは、テレビとラックとチェスト周りだ。チェストは二つあったうち、ひとつは粗大ゴミに出した。今あるのも、使っている引き出しはひとつのみ。だったら、中身を仕分けして、捨ててしまおうかと思う。ソファも、なくてもいいんじゃないかと思いつつある。クッション系の座椅子をひとつ置いた方がいいかもしれない。

休みの日に時々、何をしたらいいのか分らなくなって混乱することがよくある。立ったり座ったり、本をめくったかと思えばDVDを見たり、洗い物をしたかと思えば買いものに出かけたり、買いものに出かけたはずなのに、ファミレスに入って本を読んだり、本を読んでいたかと思えば、スマホで調べ物をしたり、そのうち、なぜファミレスにいるのか分らなくなって店を出るのだが、家に帰ったものかどうか分らなくなり、電車に乗って出かけ、出かけた先でまたドトールとかに入って、15分くらいで出て、街をぶらぶらしながら、靴を見て、文房具を見て、電化製品を見て、スーツを見て、鞄を見て、時計を見て、自分の時計も見て、夕方になっていると気づいて、電車に乗って、家に帰る途中で買いものをして、食べたことのない果物や缶詰を買って、家に帰ったら、買ってきたものを冷蔵庫にしまって、夕食は前から家にあったもので済ませ、じゃあ、買いものする必要はなかったなんて考えは、ちらっとでも頭をよぎることなく、本を出してめくり、他の本を出して放り、DVDを再生して、風呂に入って、パソコンをつけて、スマホでYoutubeを見て、突然知人に手紙を書き、時計を見て、真夜中になっていると気づいて、明かりを消して寝床に入り、混乱した頭で思うのだ。オレは今日、何がしたかったんだ?
今日はそんな日ではなかったが、夕方、そうなりかけた。ローストビーフを焼いて、パソコンのHDDを調べて、ヨークシャープディングのレシピを調べている時に、やばい、そうなりかけていると思った。
すぐ出来るレベルのやりたいことが、一度に沢山頭に浮かぶからいけないのだと思う。食べ放題の店に来て、あれもこれも美味そうだと一気に皿に取り、食いきれなくなってウーロン茶を飲んでいるようなものだ。
時間割ではないが、趣味や好きなことを把握し、与えられた時間をどれに使うか、自覚的になるべきだ。ならないといけない。でないと、やりたいことの多さに比例して、なすことは少なくなる。