本読み会でリチャード三世を読む

8時半起き。ローストビーフのサンドイッチを作って食べる。

午前中、『海辺のカフカ』下巻読み進む。11時半に家を出る。自転車で幡ヶ谷方面に向かう。
「名前のないラーメン家」という店で中華そば食べる。食べログにはその名前で登録されていた。正式名称ではないのだろう。店主は東池袋大勝軒で修行した人らしく、カウンター席6名の小さな店を一人で切り盛りしていた。中華そばの味は、確かに東池袋大勝軒の味だった。

店を出て、六号通り商店街近くの施設へ。本読み会に参加。一昨年の夏以来だ。テキストは『リチャード三世』。ちくま文庫版。
参加者がまんべんなく色々な役を読めるよう配慮しつつ、頭から順番に読んでいく。演劇をやっている人が参加する会ではない。戯曲を読むのが好きな人が集まり、みんなで声に出して読むというのが趣旨である。そこに役者のエゴがあると、かえって邪魔になる。声に出して読むことで中に入り、一体化すると同時に相対化する矛盾した感覚を味わう。
リチャードとバッキンガムの長い掛け合いを読ませてもらえたのが嬉しかった。虚々実々の面白さが、声に出すことでわかる。

長い本なので、時間内に読みきれぬまま終了。楽しかった。

帰り道、笹塚の「福寿」に入る。15年ぶり。ラーメンを頼む。何の変哲もない、昔ながらのラーメンが出て来た。この、不味さが旨い。
最近のラーメンは、不味さが足りない。食べるとこう思う。
「麺もスープも頑張っちゃって白けた味だねえ。ラーメン食ってる気がしないねえ」
この「不味さ」は、狙っては作れない。作るものではなく、作り手のラーメン観として自然に現れるものだからだ。

同じことは、カツ丼にも言える。カツ丼は、ガツンときてくれないと困る。それさえ押さえてあれば、卵のとじ方はうるさく言わない。日によって違ってもいい。あるいは逆に、何から何まで上品で、値段が1500円したっていい。ガツンときてくれさえすれば。

昼に食べた店は、店主が一人で切り盛りして好感が持てた。でも、あそこまで丁寧にしなくてもいいと思った。

中野通りの歩道で、小学生が折れた木の枝を三人がかりで運んでいた。
済美運動場のそばで、小学生がかまくらを三人がかりで作っていた。
すごくいい顔をしていた。スナック菓子でもおごってやりたかった。

6時過ぎ帰宅。寒い。一昨日から最低気温氷点下の日が続いている。雪がなかなか溶けない。
こんど雪が降ったら、大人の力で本気のかまくら作りをするか? 7人がかりくらいでスコップを使い、本気作りすれば、かなりのものが作れるような気がする。中で宴会が出来るくらいの。そして最終的に通報される気がする。