ベイダー死す

6時半起き。鮭と納豆と大根のよごしで朝食を食べる。

父に「会社時代、行きつけの店はあった?」と、何気なく聞く。二つあり、一つは小さめの小料理屋。もう一つは「鳥銀」という居酒屋だったという。
「鳥銀」は、この字が正しいのかわからないが、覚えている。そこの常連客で草野球チームを作り、父は休みの日によく試合をしにいっていたのだ。オレが小学5年生の頃から、中学に上がってしばらくするまでそれは続いた。バットもボールもグローブもユニフォームもあった。大人買いだ。ズルイ。オレなんか、小二の時に買ってもらった小さいグローブとバットで小五までもたせたのに、すげえ取りづらかったのに。

仕事、午前中ちょっと仕事をしてからミーティング。あっという間に昼になる。コンビニでスマホを使ってブログ更新をする。フラワー入力を使い始めて一年くらい経つが、遅い!

午後、オペレーションばかり。4時半くらいになると疲れてきた。あまり根をつめてやるもんじゃない。

ビッグ・バン・ベイダーが亡くなった。たけしプロレス軍団の刺客。Uインターではスーパーベイダーとして活躍。その後、全日、ノアと戦場を変え、日本ではゼロ年代初頭までメイン外国人の扱いで活躍した。
たけしのオールナイトニッポンのリスナーだったので、新日本のアングルとしてのTPG(たけしプロレス軍団)は、リアルタイムで放送を見た。ラジオでは入門生募集もしており、マサ斉藤が審査していたと思う。年末のベイダー乱入は、新日本の歴史に残る大暴動を引き起こしてしまったのだが、当時はまだプロレスファンではなかったので、たけしへのブーイングをむしろ不思議な気持ちで聞いていた。
本来リングに立つはずだったのは長州で、ファンはそれ目当てでチケットを買ったのに、いきなりTPGが乱入して猪木に挑戦したわけだ。そりゃないだろうと今なら思う。その対戦者がベイダーで、見たこともない外人レスラーだった。試合が始まると、ベイダーは猪木を圧倒的パワーで蹴散らし、ピンフォールを奪ってしまった。これで観客は大暴動。

次にベイダーの試合を見たのはだいぶ後だ。Uインターの神宮大会。高田戦をビデオで見た。1993年冬の試合だ。結果は、高田がベイダーの腕を折り、レフリーストップ勝ちを収めた。新日最強外国人だったベイダーを病院送りにするという結末で、高田とUインター人気はこの時に絶頂期を迎えた。

次は全日。この時も、三沢、小橋など、四天王の強力な敵として暴れていた。

初期のノアに参戦していたベイダーの試合は一つも見ていない。そのうち、参戦することがなくなってしまった。2ちゃんねる情報によると、暴れて観客を危険な目に合わせたため、三沢の逆鱗に触れたとか。うろおぼえ。

そうすると、全日以来もう20年もベイダーの試合を見ていなかったことになる。享年六十三。もうそんな年になっていたのか。

プロレスラーの早逝が目立つ。20年ちょっと前に元気だったレスラーで、亡くなった人を数えると愕然とする。

あと20年したら、プロレスというジャンルはなくなってしまうのではないか。

仕事帰り、初台の成城石井で買い物。スコーンとクロテッドクリーム、チョコレートを買う。チョコレートだと? なぜそんなものを? たぶんベルギー産だったからだ。ベルギー産くらい何度も見かけたが、意識して買ったことはなかった。開高健のエッセイで、ベルギーのチョコレートを賞味する話があった。デザートに出てきて、アイスクリームに溶けたチョコをかけて食べるやつ。以来、ベルギー産チョコは上質であると思いこまされてきた。同じように、アマゾン川のマッド・クラブもそう。

7時帰宅。トマトの様子を見る。
昨日の朝、赤くなりかけていたトマトが、半分ほど食われており、穴に羽虫がたかっていた。排水溝ネットをかぶせていたのだが、洗濯ばさみで止めている部分が引っ張って外され、めくれるようになっていた。
食われたトマトをもいで捨てた。他のトマトのうち、赤くなりかけているトマトも少し食われていた。青いものは無事だった。

スコーンにクロテッドクリームをつけて食べる。クリームは中沢乳業のもの。日本でクロテッドクリームを売っているのはこのメーカーくらいらしい。砂糖は入っていないが濃厚で、スコーンに塗って食べると不思議と甘みを感じる。あっさりしてほんのり甘い食べ物との相性がいいのではないか。

「たまむすび」聞く。電車好き演歌歌手の徳永ゆうき氏が登場。ガタンゴトンの音解説や、阪神、小田急、阪急の車内放送実演など、大変聞き応えがあった。