死刑執行

麻原とオウム真理教幹部たちの死刑が執行された。
宅間のことを思い出す。改悛の情を一切現すことなく、彼は死刑執行を望み続けた。
死刑によって何が裁かれるのだろう。わからない。
もし死刑のボタンを押す係に選ばれたとして、その役を断ることができたとしたら、断るだろう。
自分の愛する人を殺した犯人だとしたらどうだろう。
その場合、自分の心がどうなっているか想像することができない。魂が煉獄に落ち、修羅となって復讐を果たそうとしているかもしれない。そうなると、犯人が法に裁かれることを望まないかもしれない。ただ、行きつく先に救いはない。地獄だ。そして、法律は被害者の心が地獄に落ちることを防ぐことを目的としてはいない。これこれ、こうであるから死刑というふうに、システム化されている。
たかがシステム。使わなければ何の力もない。もし、国民全員にボタン係を振って、押せない人の数が大部分をしめるなら、そのシステムを使用するには問題があるということだ。だから、使うと決めたシステムなのだから押さねばならない、という考え方は変だ。使うと決めているけど、使えないんじゃないか?
麻原たちは、いつの間にかくびり殺された気がする。もちろん、オウムの犯罪を許してなどいない。そのことと、いつの間にか死刑が執行されていることには、大きな違いがある。
決まったことなんだし、まあ、いろいろ、なんだから、と、執行が指示され、ですよね、そろそろ、まああれですし、と、ボタンが押されたような気がする。もし、ボタンを押すことを拒否したら、処分されるのだろうか? オレは絶対に押せないのだが、拒否したら首になって無職になるのか? とすると、家族を養うために、首つり窒息死促進装置のボタンを押すわけか。
そこで抗え得ないことの気持ち悪さは、ホロコーストや特攻隊につながっている。

6時起き。スマホでベルギーとブラジル戦の結果を検索する。2-1でベルギーが買った。今回も高速カウンターのキレが良かったらしい。

昨日雨だったせいか、水耕栽培の水はそれほど減っていなかった。赤くなりかけていたトマトを5つ収穫する。

朝食に冷や汁食べる。

昼、晴れ間が差してきた。
昼食にさばの水煮、オムレツ、ハンバーグ、納豆キムチ、トマト食べる。低炭水化物食になった。

アーサー・ミラー『セールスマンの死』読了。ワーニャ伯父さんを連想する。

夕食に、ハンバーグ、納豆、トマト、豆腐、キムチ食べる。またも低炭水化物食になった。

イングランド戦、見ずに寝る。