斜め後ろから撮るべき

5時半起き。サーバー引っ越しにともなうメール移動の続きをする。
Wordpressの動作は順調。引っ越しの最大の目的はPHPの速度向上だったが、管理画面に入ってからの反応は前よりも早い。

7時、昨日から炭酸水に漬けていたステーキ肉を焼いて食べた。

自転車のサドルは、買った時けっこう高くしていたが、先月、両足が地面に楽につくくらいに調整していた。しかし、昨日ふたたび、目一杯高くしたら、ペダルが軽くなった。

1センチほど低くしてみた。8時50分に家を出る。一昨日は1速、昨日は2速で上った坂を、3速で上れた。しかし、まだちょっと高いような気がした。

談志の「明烏」を聞きながら自転車を漕ぐ。出勤途中に聞く演目としてはいかがなものかと思ったが。かといって、帰り道に聞くのも、寄り道を促しそうな気がする。

久しぶりにミーティング参加。ツール作りがまた始まるが、そっちに専念する時間、あるだろうか。

夕方、サミットで買い物。アボカドを買うつもりだったが売り切れていた。スパム、もずく酢、納豆、豆腐買う。もずく酢はなぜか、鮮魚コーナーと練り物コーナーに、別々のものが売られていた。練り物コーナーの方が20円安かった。

「たまむすび」聴く。面白い大人のコーナーゲストが小柳ルミ子だった。
ワールドカップを振り返り、サッカー談義に盛り上がったが、小柳ルミ子がサッカーに示す愛情表現に対して、嫌な気分にはならなかった。

「石橋貴明のたいむとんねる」の時もそうだった。
小柳ルミ子のサッカー愛に対して、リスペクトがあるからだろう。

サーカー知識ではない。サッカー「通」であるところではない。愛に対してだ。これは重要なことだ。

ルミ子は「通」ではない。
知ったかぶり、サッカーを知らないなどなど、大会中、ルミ子さんはブチ炎上状態だったけど、それは、彼女を「通」とみなし、解説者のようなポジションで扱おうとしたからだと思う。

「たいむとんねる」を見て思ったが、石橋貴明が意見を言っても、ルミ子さんはちゃんと聞く耳を持っていた。タカさんだって、名うてのスポーツ好きだから、ルミ子さんの愛は本物だとわかっていただろう。ちゃかさずしっかり聞いていた。二人の会話には、愛を知る者同士のリスペクトがあった。だんだんと意気投合していく様は、見ていて大変気持ちよかった。

今日の「たまむすび」も、赤江珠緒、ピエール瀧両人に、小柳ルミ子を揶揄する雰囲気は微塵もなかった。赤江さんはルミ子さんの著書を読んで感銘を受け、5月の放送で紹介していたくらいだし。
ピエール瀧は、下世話な話だがカッコイイと思った選手はいたかとルミ子さんに質問した。ルミ子さんは、サッカーはプレイ・イコール・仕事だから、仕事できる男がカッコイイと、軽くいなした。ピエール瀧は、「そんな質問した自分が恥ずかしい」と、即座に後悔していた。
そういうやり取りがあった上で、ルミ子さんは、二十歳くらいの若い子に試合会場で声かけられるのがホント嬉しい、と話していた。いい人生だ。

だから、ルミ子さんの、サッカーに対する発言そのものを引き合いに出すのは、違う。
そこは、人それぞれ色んな意見もあるんだなとスルーすべき。
だが、解説に招いてしまうと、偏った意見が視聴者に向かって真っ正面に突き刺さり、不快感を与えてしまう。

そっちじゃない。サッカーを愛している様子を、斜め後ろから撮らないといけない。解説者のポジションは斜め後ろから撮れない。

ルミ子さんのサッカー愛に、狂気や闇はない。新しい出会いまで生んでいる。発言内容だけで批判されるのはもったいない。