電車の話

7時に起き、スマホで天気予報を調べると、東京は曇りのち晴れだった。日本列島を左打ちバッターにたとえると、ボールがアウトコースに外れるように、台風は太平洋側へそれていった。
トマトを8個収穫する。トータル100個に到達した。
外は曇っていて地面は乾いていた。

談志「らくだ」を聞きながら自転車を漕ぐ。5日の日曜日に実家から帰った時、楽に漕げたので、その時の体勢や筋肉の使い方を思い出しながら漕いだ。
いつもの坂を、ギアを軽くすることなく上がれた。

午後、眠くなる。炭水化物をたくさん摂取しているわけではないのになぜだろうと思う。
日差しが強くなってきた。

8月の日付が二桁になると夏は後半になる。二十日を過ぎれば日が短くなってきたことに気づく。最近の小学校はそのあたりで二学期が始まるところがある。

八歳の夏休みに父の郷里である秋田の能代へ行った。八月の下旬で、能代の小学校は二学期が始まっていた。寒い地方は夏休みが短く冬休みが長いのだと聞かされた。
駅で大学生の旅行者を見かけた。彼らは九月まで夏休みがあるらしかった。羨ましかった。だが、自分が大学生になってみると、夏休みを嬉しいと感じたのは最初の年だけだった。それ以降は休日の概念が変わってしまい、夏に、休みではない日がたくさんできてしまった。学校がなくても稽古があれば休みではないし、稽古が休みでもバイトがあれば休みではなかった。

八歳の能代行きは、帰りが大変だった。指定席券がとれず、混雑する自由席の床に新聞紙を敷き、母と妹と三人で座り、八時間以上電車に揺られた。

十歳の夏休みにも能代に行った。この時はお盆前だったので帰省ラッシュと逆方向になり、自由席にゆったりと座って帰れた。お昼は食堂車で食べた。ハンバーグのセットだった。そのあと乗り物酔いして、高崎線のどこかで吐いた。

どちらの時も、能代から東京へ帰る時は、特急いなほ号に乗った。秋田から羽越本線を日本海沿いに走り、新津から大宮までは、上越線と高崎線を経由した。前半の眺めは海ばかりで、後半は山ばかりだった。
とにかく退屈だった。漫画を数冊持っていたが、あっという間に飽きてしまった。

行きは、奥羽本線経由だった。八歳の時は臨時特急のつばさ号。十歳の時は寝台特急のあけぼのだった。

臨時のつばさ号は通常の特急つばさより秋田駅までの所要時間が1時間以上長くかかるとWikipediaに書いてある。当時はそんなこと知るよしもない。上野を出てから福島駅あたりまでは、外の景色を見たり、すれ違う特急電車に歓声をあげたりしていたが、やがてそれも飽きた。横手に着いたあたりで、まだ着かないのかと母親にぐずったような記憶がある。父も乗っていたが、今の自分より若かったはずだ。あの長時間なにをして時間をつぶしていたか思い出せない。

寝台特急のあけぼのになった時は、嬉しくてなかなか寝つけなかった。寝台は二段になっていて、上の狭いベッドに一人で寝た。窓に近づいてカーテンをめくると外が見えた。暗くてよくわからなかった。大宮で止まった時、頭の中に地図を作り、今自分がどのあたりにいるのかを確認した。アナウンスに耳を澄ませ、外の気配を感じた。ものすごく興奮した。宇都宮駅でも同じことをした。そのあたりで眠くなり、翌朝起きたのは秋田駅に着く頃だった。トイレに行って戻ってきたら寝台は座席に変わっていた。いい天気だった。母にもらった桃を食べた。

二度目の秋田行きのあと、時刻表の存在を知った。駅の名前と時刻だけのテキスト情報に過ぎないのに、それを読むのが好きになった。寝台特急の時刻を調べて、夜中にどのあたりを走っているかを想像して楽しんだ。
そういう楽しみ方をする鉄道ファンはけっこういた。中学に入った時、部活動とは別に強制参加させられる「クラブ活動」の中に、日本旅行クラブというのがあり、一年生の時そこに入った。活動内容は時刻表を見て様々な旅のルートを検索するというものだった。今思えば、いったいどこが面白いのかさっぱりわからないが、十歳の時から時刻表を眺めるのが好きだったから、最初のうちはそこそこ楽しんだ。しかし、成長期到来と共に鉄道への興味がまったくなくなってしまった。だから二年生の時は別のクラブを選択した。

今でも時刻表は売っているのだろうか。昔の時刻表には、旅館やホテルの広告が載っていたような気がする。ああいう本は古本屋を探せば見つかるのだろうか。

夕方くらいから、走りたいと思ってきた。昨日おとといが涼しかったので、流れるべき汗が流れていない気がしたいた。
図書館に寄って予約した本を借り、6時40分帰宅。すぐに走りに行った。

「たまむすび」を聞きながら走った。ラジオを聞くついでに走ると、長い時間走っても退屈しない。走りたい気持ちを萎えさせるのは退屈さなのだ。走っている間、本は読めないし映画も観られない。しかし音楽やラジオなら聞ける。

西永福から浜田山まで住宅地を縫って走り、中央道と環八の交差点で引き返した。10.4キロだった。ウェアを洗濯機に放り込む時、汗で重くなっているのを感じた。

『圓楽 芸談 しゃれ噺』読む。先代圓楽が亡くなる三年前に出した本。生い立ちや、落語家のエピソードが色々書かれている。志ん朝のことを「強ちゃん」と呼ぶのが、なんともいい。談志の悪口がぽんぽん出てくるが、悪友という感じがして、これもいい。談志が暴漢に襲われ、刃物で頭を切られた時、毒蝮が、「おい、貯金箱だな」と言いながら、切り口に小銭を入れようとした話も載っていた。聞いた圓楽は大笑いしたらしい。ブラックユーモアがわからない人じゃないのだ。

腹が減り、煮干しカップ麺とセブンイレブン餃子を食べた。夜中の12時だったが、10キロ走ったので、正々堂々ドヤ顔で食べた。20キロ走っていれば、ペヤングギガマックスだってドヤ顔で食える。
まだ、食べずに、置いてある。