旅の終わりの旧友交歓

雨が顔に当たって目が覚めた。4時半だった。月は沈んでおり、辺りは驚くほど暗かった。
屋根のある四阿へ移動しベンチに横になった。雨音が聞こえた。聞こえなくなってから起きようと思った。

東の空が少し明るくなってきた。雨もやんでいた。5時だった。シートを畳んで車に戻り、ナビを市内中心部にセットした。

24時間営業のサウナに入った。「24時間テレビ」をやっていた。全然知らなかった。

スマホの充電をするため、アーケード商店街にあるファミリーマートに入った。どん兵衛を食べた。出汁は西日本仕様になっていた。
8時過ぎまでブログの更新をした。スマホの電池は満タンになった。

ファミリーマートを出ると、車を止めたパーキングがどこにあるのかわからなくなっていた。少し焦った。地図を見ながら道をぐるぐる回ってようやく見つけた。駐車料金がけっこうかかっていた。

今日は、室戸岬の先にある白浜海水浴場で泳ぐつもりでいたが、サウナに入ったためか、体の筋肉が弛緩していた。無理して泳ぎに行かなくてもいいかなという気分だった。
室戸岬で太平洋を眺めるというプランも思いついたが、室戸まで片道70キロもあった。行って帰ってくるだけになるかもしれない。

急に億劫になってきた。

それでも一応ナビを室戸にセットし、車で市内から東に向かった。いい天気だった。

途中で高速に入るようナビに促された。どうしようか迷ったが、そのまま一般道を走った。
この時点で室戸行きは諦めた。どこかで次の予定を考えようと思った。

ローソンに車を止め、店内のイートインで飲食店の情報を調べた。赤岡町に「中日そば」というものを出す店があるらしい。ラーメンを和だしの汁で供するもので、中華風と和風が一緒になったところから「中日そば」というそうだ。
赤岡には「絵金蔵」という美術館もあった。絵師、弘瀬金蔵の作品を展示しているという。

赤岡で中日そばを食べ、絵金蔵へ行って、最後に太平洋を見ることにした。

赤岡まではすぐだった。コンビニから2キロほど走ると、中日そばを出すお店「とさを」の前を通り過ぎた。
とさを商店

赤岡駅近くで車を止め、とさをに向かった。店は土産物店兼食堂といった感じで、店の奥が食堂になっていた。
客は誰もいなかった。店主夫妻がお弁当を作っていた。
「いいですか?」と尋ねると「どうぞー」とお父さんが言った。お母さんが麦茶を持ってきてくれた。コップが大きかった。

中日そばとシラス丼のセットを頼んだ。
中日そばとシラス丼

中日そばは、釜揚げしらすのゆで汁をスープにしているらしい。和風の優しい味だった。麺は中華麺だったが違和感は感じなかった。落ち込んでいる時「これ食べて元気出して」と言われたら、泣いてしまうかもしれない。
シラス丼も美味かった。ご飯に大根おろしとしらすを乗せただけだった。シンプル極まりないけど美味い。

お会計の時、お母さんに「中日そばが本当に美味しかったです」と言ったら、「あらー、ありがとう、うれしー」と言われた。

絵金蔵は国道を横断した北側にある。赤岡という町は古くから栄えていたようだ。
味のある店もあった。
赤岡の雑貨屋

絵金蔵に着いた。新しく立派な建物だった。
絵金蔵

中に入ると、受付の女性に、紹介ビデオを見ますかと聞かれた。否やはなかった。
二階のビデオ視聴スペースで、「絵金」こと弘瀬金蔵の生い立ちと作品についてのビデオを見た。絵金について予備知識はまったくなかった。おどろおどろしい作品が有名とのことだったが、ビデオに映った、庶民の生活を描いた素描の方が気になった。

見終わってから館内を歩いた。受付の女性は、フラッシュをたかなければ撮影してもいいと言った。しかし館内には撮影禁止の紙が貼られていた。どちらかわからなかったので、屏風の展示のみ少しだけ撮った。
歌舞伎の場面を絵にしたものは赤色の鮮烈さが目を引いた。土佐の塩の道を通じて水銀の染料が手に入り、それによって可能になった赤さなのだという。確かに、赤が迫ってくるような気がした。
安政の大地震があった折、外に飛び出して人々を描いた素描の素直な線が心に響いた。素朴で生き生きしていて、声が聞こえてくるような絵だった。

絵金蔵を出て駅に向かった。止めていた車に乗ると中が灼熱地獄になっていたので、しばらく窓を開けて熱気を逃がした。車で海岸に向かう。すぐ近くだった。日陰はなかったので堤防沿いに車を止め、防波堤の先端まで歩いた。
赤岡の海岸

波はけっこう高かった。
赤岡の海岸

しばらく太平洋を眺めた。海岸には人っ子一人いなかった。地元の人にとって海なんか珍しくもないのだろう。

車に戻り高知市内に向かった。予定より早く車を返すことにした。
2時にレンタカーに着いた。傷がついていないことを確認し無事返却した。

高知駅前で小松を待った。

後輩の小松は高知の安芸に住んでいる。十六年会っていない。旅行の最後に久しぶりに会うのも面白いだろうと思い先月手紙を書いた。彼はいまだに携帯電話を持っていないので、連絡手段は手紙しかない。
返事が来たのは今月だった。メールを送ってきた。母親の携帯を借りたとのことだった。その後何度かやりとりをして、本日26日の昼過ぎに会うことになった。

昨日、ファミリーマートに入った直後、小松から電話があった。

「明日どうしましょう」
「車借りてるからどこでも迎えにいけるけど」
「私も車なんで」免許を持っているとは知らなかった。
「お互い車で移動するのも変ですからね。それに、高知市内は止めるとこないんですよ」小松は言った。
「じぁあ、オレ、早めに車返すから、駅前で待ち合わせて、どっか行くってのはどう?」
「どっか行くと言っても、私、あまり案内できませんよ」
「行きたいところはオレが見繕っておくから、その場所につれてってよ」

それで、今日の三時に駅前で会うことになったのだった。

ロータリーを眺めていると、小松からメールが来た。今から出るとのことだった。

いい天気だった。赤岡を歩いた時に感じたが、日なたは暑いが日陰に入ると涼しい。駅の屋根が作った日陰でもそれは同じだった。

渋滞で遅れたため、三時十五分頃に小松の車がロータリーに入ってきた。急いで、というように手招きをしていた。久しぶりとか挨拶する間もなくロータリーを出た。
行きたいところの地図を見せ、その近くのパーキングで車を止めた。

喫茶店「メフィストフェレス」に入った。恐れ入った名前だが、いい雰囲気の店だった。

免許をいつ取ったのか聞いた。高知に帰ってすぐだという。乗っていたのはマニュアル車だった。「マニュアルのほうが運転しやすいんですよ」とのこと。

実家の農業は茄子の苗の植え付けが終わったところらしい。それで昨日まで忙しかったのだそうだ。

トマトの水耕栽培をやっていることを話し、真夏は実をつけにくいのか質問してみた。
「うちも家族で食べるためのトマトを植えてますけど、暑くなると美味しくなくなりますね。育成については、適した温度というのがあって、それって一日の平均気温なんですよ。昼に35度を記録しようが、平均が低ければいいんです。茄子の場合は18度くらいですね」
「そんなに低いんだ。じゃあ5月や6月が収穫期?」
「うちはハウスなんで4月から5月です。路地なら5月か6月でしょうね」

弟さんも今は実家に帰り、母と三人で農業に従事しているらしい。

「朝のうちはどこ行ったんですか? 室戸行くって昨日言ってましたけど」
「室戸は遠いから諦めた」
「やっぱり」
「代わりに赤岡町に行ってきたよ」
「うちの近くまで来たんですね」
「中日そばってのを食べた」
店の写真を見せた。彼は知らないらしかった。
「車で通る時、この辺全然気にしてないんで、わかりませんね」
「美味しかったよ。シラス丼も食べた」
「あのへんの名物なんです」
「あと美術館に行った」
「美術館? 絵金ですか?」
「知ってる?」
「毎年、祭をやってますからね。おどろおどろしいんですよ。子供が見たらトラウマになるようなのを屏風にして立てるんです」
「そういうのも見たけど、人々のスケッチをしたようなのがすごく良かった」

四万十川については、下流はお勧めできないと小松は言った。
「昨日、勝間沈下橋のあたりに行ったんだけど」
写真を見せた。
「ここの辺は清流じゃないでしょうね。支流の上流に砂防ダムができて生活排水が流入してますから」小松は言った。

以前、同期の千ちゃんが高知に来たことがある。その時も小松は四万十川に行くなら下流はダメだとアドバイスしたという。
「千田さんは、源流まで上ったとあとで言ってましたよ」

自宅に泊まってもらわないと失礼だという思いが小松にはあったらしく、宿泊費をいくらか援助したいと言っていた。
「いいよ、昨日は桂浜で野宿したから」
「なるほど」
「あまり意外そうな顔じゃないね」
「高知はお遍路がいますでしょう。そういう人が野宿できるスポットが色々なところにあるんです」
「そういや、桂浜にも雨をしのげる四阿があったな」
「誰かいました?」
「いなかった。でも公園の入口に車が止まっていて、カップルが抱き合ってた」
「覗いたんですか。変質者ですよ」
「車止めたら、隣が勝手にその車だったんだよ」
「よく見えましたね」
「アイドリングしてたから」
「どっちがですか」
「そりゃお前、男も女もエンジンも、って、バカ言ってんじゃないよ」

最近、ゲームはするかと聞かれた。去年ドラクエ8をやり、ラスボスのところまでいってやめたと答えた。
「私も、ドラクエは7以来やってないです」
「やる時間がもったいないんだよね」
「三国志もやってませんか」
「やってない」
「以前、パソコンで改造ソフト使って遊んだと手紙に書いてましたが」
「やったね。有名な武将をすべて処刑して、雑魚だらけの三国志世界を作ってから、放浪してほったらかしにしたり」
「どうなりますか?」
「そりゃもう荒れる荒れる。統一ネグレクト」

ファミコンの話になった。
「何年か前、スーパーマリオを久しぶりにやったんです」小松は言った。「裏ワザなしに1面から8面まですべてのクッパを倒したんですけど、動きが今時のゲームより面白いなあと思いましたね」
地面に着地している感じが、しっかりしていてよかったそうだ。
「オレは、高一の冬休みから高二になる頃までが、ゲーマーとしてのピークだったな」
「と言いますと?」
「ディスクシステム買ったばかりで、やれるゲームはとことんやってたから、アクションゲームはその頃が一番うまかったよ。メトロイド、悪魔城ドラキュラ、パルテナの鏡、リンクの冒険、グラディウス、全部その頃クリアした。あと、がんばれ五右衛門」
「五右衛門もですか? あれ、相当難しいですよ?」
「でもクリアしたよ。春休みだった。テレビで『熱中時代』のスペシャル版やっていて、ポーズボタン押してそれ見たりしながらやって、江戸まで行った。ほとんど覚えてないけど、五右衛門は、動きそのものが楽しいという意味では一番だったな」

6時近くなったところで、夕食にメフィストフェレス弁当なるものを頼んだ。唐揚げとハンバーグの定食みたいなものだった。小松は飲み物を追加した。
メフィストフェレス弁当

学生時代、小松の引っ越しを手伝った時の話になった。
「リアカーで荷物運びましたけど、あのリアカーどこから調達したんですか?」小松が言った。
「学生課で借りたんだよ」
「今思うと、よくやりましたね」
「洗濯機と棚を運んだんだよね。その頃オレ、一人暮らし始めたばかりで、家電も家具も何もなかったんだけど、引っ越しの時に君が、よければ洗濯機使いにきてくださいって言ったんだよ。それが悪縁の始まりで、以来しょっちゅう真夜中に洗濯しに行ったりしたよね」
「そんなこと、私、言いました?」
「言ったよ」
「塚本さん、よくうちに来ましたけど、ゲームやりに来てたという印象しかないです」
「それは、洗濯機を回してる間にゲームをやってたんだよ」

二十代の数年間、小松の部屋は数名の顔なじみたちによるたまり場になっていた。
「(同期の)キムラなんかも、研究室で勉強したり、色々付き合いがある中で、私の部屋は息抜き場として来てました。私も、ゲームの対戦相手が来て助かりましたし」
「楽しかったよね」
「そうですね。努力してそうなったわけじゃないんですが」
「ああいう場所ってのは、努力して作れるもんじゃないから」

7時に店を出た。駅まで車で送ってもらった。下りる時、鹿児島で買ったお土産を渡した。
「じゃあまた」
簡単な挨拶をして別れた。

コンビニで日本酒を書い、高速バスを待った。まだ8時なのに眠かった。

8時20分にバスに乗った。すぐうとうとしたが、30分くらいして目が覚めた。眠気はどこかに去っていた。
小松からメールが届いていた。グーグルマップで現在地を確かめてから返信した。

10時前にサービスエリアに着いた。小腹が空いていたので売店に行ったが、あんパンくらいしか売っていなかった。バスに戻り、スマホで落語を聞いた。少しして消灯時間になった。