日本映画はあまり置いていない
2003年2月18日 火曜日
昨日は「雨月物語」をビデオで観てから寝た。
溝口健二監督の映画を観るのは、実は初めて。
大きいビデオ屋に行かないと、昔の映画は置いていない。
普通のレンタルビデオ屋は外国映画のスペースが7割で、日本映画は3割くらいだと思う。
その3割からアダルトビデオ、Vシネ、アニメ、TVドラマをのぞくと、どうなってしまうのだろう。
映画会社直営のレンタルビデオ屋が出来たら面白いと思う。
フィルムセンター代わりになる。
利用者はいるはずだ。
あるいは、ネットでの期間限定ストリーミング映像がもっと広まれば、メディアの保守が店の面積に関係なく行えるわけだし、ありとあらゆる映画を借りることが出来るかもしれない。
ブロードバンドは技術ばかりが先走りしているが、そのくらいのサービスが始まらないとあまり意味がないと思う。
「ノラや」読了。
ノラがいなくなってから日記の形で綴られており、来る日も来る日もノラのことを思い出しては落涙している百?先生の姿がある。
感受性というものは時々こうした中毒症状を引き起こす。
悲しみに歯止めがきかなくなったりする。
しんどいだろう。
夕方、ほうれん草とえのき、木綿豆腐買う。
その後図書館へ寄り、Java の本と Access の本、それから内田百?の「私の『漱石』と『龍之介』」借りる。
先日焼き豚の要領で鶏肉を煮た際に出来たたれをつかって親子丼を作る。
えのきも投入。
他に、鶏肉、ほうれん草、ニンジン、大根のみそ汁。
昨日一日干した鰯はうまそうなめざしになった。
食してみると非常に塩の具合がよかった。
ガスストーブの裏側にある蓋をドライバーで取り、空気の吸入口にたまったほこりを掃除したら、火を半分だけにしていても十分暖かいほど燃焼の効率があがった。
これまで無駄に使われてきたガスを思うとため息が出る。
「石に刻まれた時間」は怖くてなかなか手が出せない。
ちょっと触っては手で弄び、最後のページにある広告などをちらちら眺めては本を閉じ、ブックカバーを外して本を裸にし、装丁を検分してから服を着せるかのように再び本にカバーをする。
そしてまだ読まずにいる。
なにしろこの本は文庫なのに1000円もしたのだ。
借りてきた本のようにひと息で読んでしまうのはあまりにももったいない。
本は読まれてなんぼだから、もしも本そのものに人格があるとしたら、読まれないまま放っておかれるのは辛いことに違いない。
お茶っぴきの遊女みたいなものだろうか。
「兄さん、あたしに恥かかす気かい」
なんて言ったり。
しかし本があることを痛切に意識しながら、服を脱がし、めくり、ちらちら見て、でも全部は見ずにまた服を着せたりするのは、なんだか変態性欲大富豪地下室遊技みたいだ。
でもまあ、たぶん、今夜あたり少しは読むだろう。もう我慢も限界だ。
もともと我慢しなくてもいいのだけど。
