野田版「鼠小僧」
2003年8月27日 水曜日
雨が降りぐずついた天気になるはずだった今日だったがなんのことはない。夏の名残をとどめる太陽は空に輝き、吹く風は心地良く乾いていた。
さすがに真夏の蒸し暑さはなかったが、雨に降られるより数段ましな天気だった。
「野田版鼠小僧」だが、一日おいて冷静になったので、思ったことを書き残してみる。
これは歌舞伎であるはずだった。
しかし我々が思い描く歌舞伎のイメージとはかけ離れていた。
演者である中村勘九郎は松尾スズキとの対談で、なぜ歌舞伎ではああいう台詞の言い回しになるのかという質問を受け、なぜかああなってしまうと答えている。
さらに、歌舞伎風の言い回しというのがよく分からないとも。
その勘九郎が主演した「鼠小僧」だったわけだが、装置と役者を別の小屋に移し、例えばNODA MAPの公演として上演した場合、違和感を覚えなかっただろうか?
そうは思えない。
なぜなら出演する俳優達が全て歌舞伎役者であり、歌舞伎が400年かけて築き上げてきたメソッドでできあがった動きを戯曲に合わせているように見えたからだ。
つまり役者が醸し出すアンサンブルはあくまでも歌舞伎の力によるものだったということだ。
これを普通の劇団やプロデュース公演で実現させるには難しい。
というか不可能だろう。
とにかく歌舞伎役者の力量が普遍的な意味で極めて高いことを天下に知らしめたという意味で、非常に刺激的だった公演だと思うのだ。
劇場が歌舞伎座ということもあって、客の質が非常に高かったのも良かった。
しかし、どうして他の劇場は飲食禁止のところが多いのだろう。
先週見た「シンデレラ」の青山劇場など、途中休憩がたっぷりあるのだから、サンドイッチくらい食ったって良さそうなものだ。
上演中に食うのはマナーに反するだろうけど、面白い芝居をやっていたら飯なんか食わないものだ。
というわけで、東京の小劇場がまず率先して飲食解禁したらどうだろう。
ていうかむしろ、軽食くらいなら販売した方が、余録があるってもんだろう。
「欲望という名の電車」読了。
前に読んだ時とは比べものにならないほどの感銘を受けた。
年とったってことか?
というよりも小田島さんの訳が読みやすかったのだろう。
ブランチの追い込まれ方がストレートに伝わってきた。素晴らしい。
