WBC敗戦

2006年3月13日 月曜日

 一昨日の疲れをまだ引きずっているのか、一日中だるい気分ですごした。
 こういう気分の時はなにもする気がしない。

 WBC(ワールドベースボールクラシック)の2時リーグが開幕した。
 日本はアメリカと戦い、3対4のサヨナラ負けを喫した。

 8回の攻撃で、日本は1死満塁のチャンスで、岩村が犠牲フライを打ち上げた。
 西岡はホームイン。
 ところが、西岡の足が3塁ベースから離れるのが早かったと、米国チームのマルティネス監督は審判に抗議した。
 一度はセーフの判定が出たのだが、これで判定が覆り、ゲッツーとなってしまった。
 今度は王監督が審判に抗議した。
 しかし判定が再度覆ることはなかった。

 納得いかない顛末だが、序盤のリードを守りきれなかったことは事実だ。
 文句ばかりたれていても仕方ない。

 今回のWBCは、イチローの言動ばかり記事になり、他の選手はあまり目立っていない。
 モチベーションが違うように見える。

 メジャーリーグの第一線でプレイする5年間は、自分が日本人であることを、イチローに強く意識させた。
 日本から離れることによって、眠っていたナショナリズムが発露するという構造はよく分かる。
 しかし、メジャー経験のないほかの選手に同じ気持ちを持てというのは酷だろう。

 状況は勤皇と佐幕に分かれた幕末にとてもよく似ている。
 異なる思想を持つ選手が同じ服を着て、相手は自分と同じ考えだろうと勝手に盲信しているのが今の状況だ。

 そうなると王監督はまるで、新撰組創設に暗躍した策士・清河八郎だ。
 王さん自身は策士でもなんでもない、生真面目な野球人だというのに。

 清河八郎は刺客によって斬られた。
 王さんが責めれられるような展開にはなって欲しくないものだ。
 そうなってしまうことこそが<日本野球の敗北>だと思う。

 もしも長嶋さんが監督だったら、天性の<お祭りパワー>で、選手間のイデオロギーの違いを吹き飛ばしてくれるのだが。
 不思議と長嶋JAPANは、見ていて負ける気が全然しなかった。

 もしかすると、野球は見ている者のナショナリズムをかきたてるスポーツではないのかもしれない。
 韓国に負けても、アメリカに負けても、不思議とサッカーの時より悔しさを感じない。

 (WBCで日本チームが負けても、日本野球が否定されるわけじゃない)
 選手も国民もそう考えている。
 悔しさを感じない原因はそれだろう。
 背景には、70年以上に及ぶ日本プロ野球の歴史がある。

 同じことは米国チームにも言えるんじゃないだろうか。
 どこか、鼻歌気分。
 アメリカチームがキューバに負けたとしても、メジャーリーグはやっぱり世界一。

 WBCで優勝することが、米メジャーリーグで契約してタイトルを取ることよりも価値があるようになれば、冷えたナショナリズムにも火がつくだろう。
 そしてイチローは、メジャーでタイトルを2度も取っている。
 残ったのはナショナリズムのみ、ということだ。 

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