役者がまず最初にすること
2007年8月30日 木曜日
夕方、阿佐ヶ谷のシアターシャインへ。
シアターシャインは、元・スタジオはるか。
FRIENDSHIPの公演を観る。
三国志で共演した佐々木君や、B→Topsで共演した平田あいちゃんが所属する劇団。
FEVER DRAGONNの小田さんが客演している。
小さい村の旅館を舞台にした芝居だった。
小田さんは怪しい中国人を演じていた。
小田さんと他の役者との間には、キャリアと技量において大きい開きがあった。
演技をしている時よりも、演技をしていない時にそれははっきりと現れていた。
自分の台詞や動きがない場面において、どういう状態で舞台にいるか。
そのあたりの差が出ていた。
終演後、初日飲みがあるというので、青梅街道の「笑笑」へ。
「どうでした?」
と佐々木君に聞かれた。
「どの部分がどうだったと聞きたいのかな?」
など聞き返し、答えを絞っていく。
話を聞いたところ、役作りのスタート地点が<はじめに課題ありき>となっているようだった。
その課題を稽古で<解消>し、本番を見てくれたお客さんには解消出来たかどうか<点検>してもらう流れができている。
だが、お客さんは点検するつもりで芝居を見に来るわけではないから、演じる者と見る者にずれが生じる。
むしろ、見に来たお客さんに<自分の抱えている課題>を感じさせるのは、タブーであろう。
佐々木君の問題はむしろ、ダメ出しを誰かから受けるという状態に慣れきってしまったことではないかと思えた。
何度もダメ出しをされるうちに<ダメ出しを受ける佐々木>という新しい人格が形成されてしまったかのようだ。
すべてのダメ出しを受けた後、その人格が自我の奥に引っ込むとすれば、<本当の佐々木>君にダメ出しが届かないことになる。
こうなってくると先輩のダメ出しはいよいよ厳しくなり、厳しくなればなるほどもう一人の人格<ダメ出しを受ける佐々木>の登場回数が増える。
役作りにあたって、
「今回の公演では、自分のこれこれこうした弱点を克服して、これこれこうしたいです」
みたいなことは、言わないようにした方がいいだろう。
課題は自分の中に自然と生ずるものだ。
だが、外に向かって出さず、自分の中だけで処理する。
言葉にしなければ、他人はその役者が何を課題にしているのかわからない。
<課題>を周りに気づかせるには、その課題を克服するしかない。
克服しない限り、間抜けなままだ。
ビール2杯で酔い、若い役者と色々しゃべった。
役者が役を作るということは、創造的でスリルに満ちたものなのだ。
台本を書いたり演出をしたりすることより、生理的に面白い。
役に台詞を与え、おのれの経験や演劇キャリアをもって未知の人格を肥え太らせ、<本当にそこにいる>という状態を作り出す。
細かい動きや台詞術は、その先の段階だと思う。
近くで別の芝居の稽古をしていた賢さんが飲み会に合流していた。
久しぶりに話す。
12時半に辞去。
1時帰宅。
ちょっと喋り過ぎたなあと反省する。
