鹿は食えるんじゃないか

2007年11月29日 木曜日

7時半起き。
昨日と同様、朝はパン。
ロビーではなく、談話スペースのようなところで食事をする。
パンは焼きたてではなく、どれもパックされていた。
ポテトサラダとレタスのサラダがあった。
粉末のコンソメスープを飲み、パンを食べ、サラダを食べた。

近鉄奈良駅のコインロッカーへ、例によって荷物をしまい、奈良公園を通って東大寺へ。

奈良公園といえば鹿である。
6年前、山梨の奈良田温泉という秘湯へ旅行した時、宿で鹿のレバーをごちそうになった。
朝しとめたばかりの鹿だったそうで、レバーは舌の上でとろけるほど柔らかく、獣臭さは全くなかった。
その時の記憶が蘇り、鹿が大変旨そうに見えてしまった。

鹿の肉は旨いと聞く。
黒澤明の遺作『まあだだよ』でも、馬の肉と馬の肉の<馬鹿鍋>で宴会をするシーンがある。
あの肉もたいそう旨そうだった。

鹿の写真を何枚か撮ってから、大仏を見ずに東大寺に背を向ける。
近鉄奈良駅から二駅移動し西大寺で降りる。
15分ほど歩き、平城京跡へ。

平城京の平城宮跡地には、資料館が出来ていた。
中に入る。
観光客は一人もおらず、解説をしてくれるおっちゃんが数名無駄話をしていた。

発掘で出てきた瓦などをみていると、おっちゃんが解説をしてくれた。
話し好きの人だった。

発掘が始まったのは昭和20年代後半だったらしく、それまでそのあたりは一面の田んぼだったという。
表面の土を掘ると、皿や壺の欠片や木簡が出てくる。
やがて柱や礎石を立てた跡、側溝の跡などがあらわになる。
そこから、当時その場所に何が建っていたのかを判断する。

あらかた調査が終わると、その区画は再び土で埋める。
しかし、土を真っ平らにならしてしまうのではなく、礎石や柱があった場所には木を植え、側溝は生け垣にするなどして、間取りがわかるような形にするそうだ。

大きい門のそばにある塀は、時間をかけてゆっくりと朽ちていったらしい。
積まれた土が広がるように、何千年もかけてつぶれていった。
塀のあったあたりは、地層の断面でそれとわかるそうだ。

係員の話が終わり、外に出る。
発掘調査の終わった区画は、ただの公園のように見える。
しかし、公園の生け垣がすべて都城の塀であり、木々が家の柱だったとしたら、とてつもなく大きい都である。
昨日の飛鳥とは雲泥の差だ。
散歩にも一苦労の広さだ

朱雀門の跡地へ行く。
近鉄の線路に隣接して、朱雀門のレプリカが建っている。
いずれ平城京のすべての発掘調査が終わり、すべての区画を埋め直す時、この場所は巨大な公園として市民に開放されるかもしれないという。
その時、朱雀門はランドマークのようなものになるそうだ。
だが、発掘が始まってすでに半世紀が経っている。
その日がくるのはいつになるのやら。

近鉄奈良駅に戻り、奈良公園の釜飯屋へ。
お昼時は過ぎていたが、店は行列が出来ていた。

釜飯は旨かった。
おこげが特に。

公園を歩き若宮神社へ。
坂道であったが、途中の林にも鹿の姿があった。
体が枯れ葉の保護色となっているのがわかった。
「いたのか?」と言ったためピンぼけ

若宮神社のあたりは背後に春日山の原始林がある。
奈良公園の鹿は原始林と公園を行き来しているのかもしれない。
村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を思い出した。
林で見た鹿の姿が、あの話に出てくる獣の姿と重なった。

道を下り市内へ戻る。
カフェがある区域を歩く。
その区域はどういうわけか<京都風>のビジュアルを目指しているように見えた。
妙な話だ。ここは奈良なのに。

駅前の商店街そばにあるドーナツ屋でコーヒーを飲む。
一緒に頼んだドーナツは甘さが控えめで好みの味だった。
ミスタードーナツより全然旨い。

昨日飲んだ店で、ママさんが勧めていたお店で<柿の葉寿司>を買う。
日持ちすればおみやげにするつもりだったが、真空パックしているわけではなく、賞味期限が明日までだったので、自分用に一つ買う。

奈良を離れ、大阪へ。
夕方6時、天満橋近くのホテルへ。
無闇に安いわりに、そこそこちゃんとしていた。

ネットでお好み焼きの店を調べ、天神橋筋の<双月>へ行くことにする。
地下鉄を乗り継いで扇町へ行き、歩いて数分で着いた。

豚玉を頼む。
自分で焼くスタイルなので不安だったが、つなぎに山芋をたっぷり使っているせいか、それとも具材の絶妙なバランスのためか、焼き上がったお好み焼きはとんでもなく美味しかった。
素人が焼いても旨い

追加で頼んだ焼きそばも、麺が太麺で旨かった。

天神橋商店街を南へ歩き、数年前にモチメが展示をしたカフェにお邪魔し、コーヒーをいただく。
10時過ぎに辞去し、ホテルへ歩いて戻る。

シャワーを浴び、12時就寝。

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