インターネットはかすがいか?

 パソコンが使えないまま今週が終わろうとしている。
 もちろんまったく使えないわけじゃないのだけど、少なくとも自分の部屋では使えないから、最も恣意的に情報収集できる環境でインターネットが見られない。
 だから、朝青龍の優勝も、阪神の優勝も、ニュースサイトで情報の反芻ができなかった。
 テレビをつけてみたが、どの時間にどの番組を見れば欲しい情報が手にはいるのか、まったくわからない。

 つくづく、放送というメディアは受動的なモノだなあと思った。
 こっちは病院のベッドで点滴を待つ患者と同じで、スイッチを入れたらひたすら情報という注射を待つしかない。
 イヤなら消す。

 ネットの場合、知りたいニュースはある程度自分で探して見つけないといけない。
 いくつものサイトから色々な角度のニュースや情報を得られるから、比較検証をするにはこの上なく便利だ。
 その一方で、あまりにも情報が安易に手に入りすぎることに、得体の知れない不安を覚える。
 パソコンを使わない今だからこそ、特にそう思える。

 その得体の知れなさは、情報を思いのまま手に入れられる状態が果たして長い目で見て正しいことなのか、誰も知らないことに因している。
 このままの状態があと何十年か続いたら、人は、社会は、一体どうなってしまうのだろう?
 誰も知らない。
 そこが怖い。

 ただ、たとえば2ちゃんねるを見ていると、匿名の掲示板サイトを生き抜く上でのコミュニケーション技術の発達速度は恐ろしく速い。
 罵倒の言葉や露悪的な表現は決して影を潜めたわけではないが、どの板も自然発生的に暗黙のルールが存在している。

 そういえば、一連のは、エイベックスが商標登録を中止したことで収まるのだろうか?
 エイベックスの対応には失笑しつつ動向を見ていたけど、ネット世界(ネット社会じゃなく)はネットでのプロジェクトを共有財産と考える気持ちが驚くほど強いということが実感できた。
 こうした意識がこれからの社会にどう現れてくるのか、興味がある。
 たとえば原始社会、その辺の海から勝手に塩を作っても、誰も文句は言われなかった。
 ところが文明ができ、国が塩を専売するようになると、海水を蒸発させて塩を作ることが罪になった。
 「なんで? 塩って、政府のものなの?」

 もしも当時、人々がテレパシー能力を持っていたら、塩専売の情報がまるでインターネットに流れる情報のごとく駆けめぐっていただろう。
 結局、今回エイベックスが失敗したのは、ネット上で人々が情報を得る早さの読み誤りが原因だろう。

 夕方、実家に帰る。
 ウィンドウズのインストールCDにサービスパックを適用したものを作り直し、それをCDRWで焼くためだ。
 やはり、修復インストールを試さないといけない。
 なんとしてでもその段階にいかないと。

 10時からジョギング。
 久しぶりに長めに走った。
 1時間と少し。

 帰宅後シャワーを浴び、たまった日記を書く。

 松本健から昨日メール。
 マグのホームページ管理をやらないかという話を持ちかけていたのだが、彼はネットにつなげる環境にいないため、会社で更新するレベルならいいとのことだった。
 しかしセキュリティ的にそれはまずいんじゃないかと思って、ネットにつなげられる環境を作るよう甘い言葉をかけていた矢先、会社が買収されることになったらしい。
 青天の霹靂。
 (10月以降、ネットは漫画喫茶などで見るしかない)
 とのこと。
 ネットにまつわるこうした話が最近なんだか多い。

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