蛍祭り

水曜日にフルーツケーキを二本焼いた。
ひと月近く洋酒につけておいたドライフルーツを使い切った。
酒の香りがして、ドライフルーツがたっぷり入り、しっとり濃厚な味わいという、まさに俺の俺による俺のための味になった。
一本は3日間かけてすべて食べた。
残りの一本を今日から食べる。
冷蔵庫で寝かせておいた方が、パウンドケーキの類は味が落ち着いておいしくなる。

「料理好きなんですね」
とblogを読んだ人から言われることがあるが、別段好きではない。
食べることの方がもちろん好きである。
ただ、自分で作ると味を自分好みにカスタマイズ出来るので、そうしているだけだ。

だからもし、自分が作った料理を誰かが食べて、
「惜しいな、火をもう少し止めるの早ければ、半熟になっていたのに」
だの、
「鰹節、ちゃんと漉してる?」
だの、
「カレーとしては、まあ無難だね」
だの抜かしくさったら、
(ああ、今俺はまさに決闘を申し込まれたんだなあ…ちゃんと殺らなきゃいかんよなあ…)
と速やかに判断し、脱いだ靴のかかとで後頭部を思い切りぶっ叩く所存である。
そうならないためにも、人に食わせたりはなるべくしない。

世の女性方も、もしも自分が作ったものを恋人が難癖をつけたら腹が立つことだろう。
そう言う時は迷わず、後頭部に一撃である。

ただし、努力はしないといけない。
自分が食べてもまずい物は、それは批判されても仕方ない。

夕方、鶏ガラスープを作り、それをカレーにした。
濃厚な味わいになった。

食べ終わってから久我山へ。
蛍祭というものがあるとモチメに聞き、歩いていった。

駅近くのテントで、ケースに飼われた蛍をまずは見た。
その後、神田川沿いに南東へ歩く。
放された蛍が、川沿いの茂みを飛んでいた。

沢山の子供連れが見物に来ていた。
ここにいる子供たちが全員『火垂るの墓』の節子だったら、明日の神田川沿いは子供の死体だらけだ。
一つ一つは悲しい死でも、ドミノ倒しのように積み重なればドラマ性は薄れる。
人が物になるからだろう。
人が物になる瞬間が滑稽に見えるところに、笑いの起源もある。
節子一人の死は具合が悪くなるほど悲しいけれど、節子クローン1万人の死は悲しいと言うよりむしろ、ヒステリックな笑いを喚起される。

なんてことを思い、家路につく。