しつこく日記ネタを書く。
16歳の夏休みを<こっくりさん>に費やしていたという過去は、これまでほとんど思い出すことはなかった。
(思い出したら落ち込むぞ)
という防御作用が働いたのかもしれない。
日記を読み返すことで昨日はそのことを思いだし、案の定落ち込んだ。
あごの先にパンチがヒットし、ダメージが膝に来たような感じだった。
16歳の時に書いた日記には、他にも痛い箇所がある。
イラストとか、詩とか。
詩だと?
書ける場所を与えられた思春期道場白帯の若者は、そこに詩を書くものなのである。
どういうわけか、そういうことになってしまうものなのである。
だがもちろん、16歳の時に書いたゲロのような詩の数々は、誰かに読ませるレベルのものではない。
むしろ、読んだら殺す。
過去日記を読み返すことで、16歳の時の俺が大嫌いになってしまった。
お前はあまりに痛すぎた。
痛い16歳の後に、砂漠のような17歳時代が来るのだけど、その頃の日記を今読むと結構面白い。
悩みが多すぎてどれを悩んでいいのかわからなくなっていた。
<16歳の痛さ>の落とし前をつけられているみたいだった。
部活もバイトもせず趣味もなく、楽しみといったら土曜日に自販機で買ったウイスキーをジュースで割って飲み、酩酊状態のままテレビの深夜番組を見ることくらいだった。
驚くべきつまらなさから脱出したいと思っていたのに、どうしていいのかわからなかった。
わかったとしても、行動する気力も勇気もなかったろう。
精神の牢獄に若い魂を閉じこめられ、それでも日記はなぜか続けていた。
というより、なにか書くことでかろうじてまともな神経を保っていられたのかもしれない。
そんな17歳だった自分が書いた文章は、まあ、ひどくはない。
技巧もなにもなく、感じている苦しさがそのまま言葉になっている。
思い出したくなかった17歳時代だが、16歳時代に比べると、もしかしたら良い経験になった一年間だったのかもしれない。
もちろん、もう一度やり直したくはないが。