「ゲド戦記」で考える自由

 珍しく朝飯を食わずに出社。
 案の定9時過ぎから腹の虫が暴れだす。

 昼、腹の虫と一緒に千代田グリルへ。
 1時を過ぎていたので空いていた。
 無防備にパソコンが置かれているのに気がついた。
 一体、何のためだろう。
 なぜ、客席のテーブルにあるのだろう。

おそらくネット接続はしてないであろうPC

 公園で本を読んでいたら、右翼の街宣車が、テレサ・テンの「つぐない」を目いっぱいでかいボリュームでかけながらのろのろ走っていった。
 目的と、行き先が知りたかった。

 ゲド戦記?「こわれた指環」読了。
 自由という荷の重さについて、非常に考えさせられるところがあった。
 ともすれば我々は、自由と開放感を一緒くたにしてしまいがちだが、自由はもっと重いものだ。
 維持するためにはストレスもあれば、放り投げてしまいそうな誘惑との戦いもある。
 放り投げた時の開放感は確かにあるかもしれないが、その後待っているのは奴隷の身分だ。
 最近は、こんなことを改めて考えたりしなくなっている。
 精神の奴隷化が進んでいるのだろうか。
 バタ足、再度開始。

 夜、2週間ぶりのマラソン。
 多磨霊園、武蔵野公園と回る。
 夜の武蔵野公園は暗すぎて走るのには不向きだ。

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