虚構深度

 8時起き。昨日の残りのカレーを食べる。
 外は雨だ。
 それもかなり強く降っている。
 梅雨が近づいているのを感じさせる、執拗な降り方だった。

 昼、コンビニで『シガテラ』を立ち読みする。
 来週が最終回らしい。
 このところ、オギノと南雲さんの関係が順調に行き過ぎていた。
 オギノが巻き込まれる事件とは別の次元に存在しているみたいだった。
 このまま続くと、『ハードボイルドな現実』vs『南雲さんとの恋愛』という、いわば『最後に愛は勝つ』みたいな話になってしまう可能性があり、それは作者の本意ではなかろう。
 かといって、ハードな現実は常に勝利を収めるという、前作『ヒミズ』のようなラストは、これまでの展開から考えて似つかわしくない。
 『稲中』『僕といっしょ』『グリーンヒル』のように、拍子抜けするほどあっさりしたラストになるんじゃないだろうか。
 とはいえ『シガテラ』は、再登場した谷脇によってオギノがヤクザのトラブルに巻き込まれるエピソードでもって、大きなテーマは語り尽くしてしまったとも言える。
 だからラストは付け足しだと強弁することだってできる。

 そういえば、オギノが大学受験に失敗するエピソードで、あるマンガとの類似を感じたことがある。
 江川達也の『東京大学物語』だ。
 主人公村上は東大受験に失敗し、その彼女水野遥は合格する。
 村上は遥ちゃんのために頑張って勉強して再び東大を目指すはずだったのだが、そのあたりから世界観が破綻しはじめ、2年の連載で終わる程度のストーリーが、8年も続いてしまった。
 あれで、江川達也の漫画化生命は絶たれたと思う。
 物語は、終わるべきときに終わらせるべきなのだ。
 本来非難ごうごうであるべきラストの夢オチが、世間的にさらりと受け流されたのは、江川達也に触れること自体が寒かったからだ。
 現在はSPAに『この国のバカたち』というマンガコラムを連載しているが、読者の何割かは心の中で、
 「お前や!」
 と突っ込んでいるはずだ。

 夕方、中野ウエストエンドスタジオへ。
 ORANGE PUMPKINGの新作を観劇。
 登場人物の多くが、実はある人物が書いた物語の登場人物であるという設定だった。

 虚構深度の最も浅い登場人物は、世界観を客と共有する者だろう。
 たとえば前説をする人がそうだし、受付スタッフがそう。
 芝居中の人物は、虚構深度1だ。
 芝居中の人物が語る、芝居中の人物は、虚構深度2.

 虚構深度-1の人物は、観客を登場人物と見なすことができる。
 これは、劇場の外を歩く人がそうかもしれない。
 が、劇場の中にいる観客にとっては、劇場の外を歩く人は虚構深度1の人かも知れない。

 終演後、宇原君とあーやに飲みに誘われたが、雨の強さと人の多さで断念した。
 10時帰宅。ジョギングは当然なし。

 THE WHO のワイト島ライブや、その他色々のライブ映像をDVDに焼く。
 形式がまちまちなので書き込みにえらく時間がかかりそうだったので、PCの電源をつけっぱなしにして寝る。