大きな地震

7時半起き。
塩ラーメンに卵を入れて食べる。

9時ギリギリに会社着。

昼、弁当を注文して食べる。

昼休み後、3時前に地震が起きた。
ゆっくりとした揺れが数十秒続き、
(おさまるかな?)
と思った頃、揺れが急激に大きくなった。
フロアが前後左右にまんべんなく揺れた。
「机の下に潜って!」
の指示が飛ぶ。

机の下であぐらをかく。
隣の席から悲鳴が聞こえる。
時計を見て秒数を数えた。
1分するかしないかのうちに揺れがおさまってきたので、机から出た。

ネットに接続する。
回線が混雑していた。
地震情報を見る。
震源地は三陸海岸沖で、マグニチュードは7.9だった。
東京の震度は5強。

再び強い余震があった。
最初の地震よりは小さかったが、それでも机の下に潜らなければいけないほどの大きさだった。

1年半一緒に仕事をしてきたアシスタントさんは、別の部署へ異動するため、本日が出勤最終日だった。
「最後の日なのに…」
と震えながら言っていた。

オフィスの窓から見える総武線の線路は、地震が起きてから電車が走っていなかった。
交通情報を調べると、どの線も運転を見合わせていた。
埼玉に住んでいる同僚は、歩いて帰るためにGoogleマップでルートを調べていた。

5時過ぎ、アシスタントさんが全員に挨拶をした。
一生忘れられない日になったことと思う。

5時半に退社。
飯田橋から荻窪まで歩くことにする。
神楽坂を越え、早稲田通りを西へ歩くルートだ。

外堀通りの歩道橋は、徒歩帰宅を試みる人々でごった返していた。
コンビニに入りゼリー飲料を買おうとするが、レジに並んでいる人の長さを見て断念する。
歩道は人であふれているほどではなかったが、歩く速度が遅くなる程度は混んでいた。
明治通りそばのラーメン屋「えぞ菊」は、ひと休み兼夕食をとる人達で満員。
スタ丼屋は店を閉めていた。
7時前、高田馬場駅に到着。
駅はシャッターが閉まっていた。
歩く人が、
「JRは終日運休だって」
と話していた。

小滝橋から落合を過ぎるあたりで、かなり手足が冷えてきた。
空腹状態のまま歩いていたため、体から燃やすものがなくなってしまったのだと思う。
8時過ぎに中野到着。
南口の大勝軒へ行き、夕食を取る。
テレビでは、宮城・岩手県各地の被害状況を放送していた。
とんでもないことになったと思う。

ラーメンをすすり、店を出る。
高円寺から先はガード下を歩くことが出来たので、冷えから身を守ることができた。
9時前に荻窪駅着。
24時間営業の西友は店を閉めていた。
ドラッグストアも同様だった。

白山神社のそばを通り、一礼する。
屋根の瓦が落ちており、黄色と黒のスライドコーンバーが塀に沿って立てられていた。

9時過ぎに帰宅。
建物の倒壊という事態になっていなかったことにまず安堵する。
部屋に入ると、キッチンの冷蔵庫、ワゴン、食器棚、冷蔵庫が全て元の位置から移動していた。
ワゴンの上に並べていた調味料は床に散乱。
ワイングラス2個と急須が破損。
だが食器棚そのものは倒れなかったので、割れたものはそれだけで済んだ。

部屋は、テレビの首が下向きになり、チェストの上に置いていた網だなが落下し、服が散乱。
破魔矢も落下し、網だなに巻き込まれて、「守」の文字のところで折れていた。
背の高い本棚は無事だったが、背の低い文庫本用本棚は斜めに傾き、本が散乱。
金魚の水槽は水がこぼれたようだったが落下を免れ無事だった。
金魚も元気だった。

本棚と網棚の片付けをし、テレビをつける。
津波に襲われた地域の火災映像を流していた。
twitterやmixiで知人の消息を確認し、ネットで情報を収集する。
とんでもないことになったと、再び思う。

3時近くまでネットで情報を集めた。
集めたところで被害が小さくなるわけではなくかったが、止められなかった。
今の時点で自分に出来ることはない。
だが、してはいけないことは色々ある。
煽ったり、責めたりすることだ。
せめてそれをしないようにしようと思った。