誘導されないことが大事だ

朝、フライパンで炊いた炊きたてご飯を、タコ焼きをおかずにして食べた。
昼、山田屋でラーメンと半チャーハンを食べた。
夜、タコ焼きと柏餅を食べた。
ダブル炭水化物、朝昼晩。

とろサーモンの久保田が、上沼恵美子に暴言を吐いたとか。貴ノ岩が暴力をふるったとか、高輪ゲートウェイとか。どんなニュースであれ、炎上スタイルをとったら、炎の中からは情報を得ないようにしている。炎上によって乱立するまとめサイトとかね。
しゃぶしゃぶ鍋に社員の顔をつけた社長も、正否を判断しようとネット検索すると、たちまち、炎上に加担する方向へ思考が誘導される。

半年くらい経つと、けっこう多くの人が、実はどうでもいいと思っていることを自覚する。その時点で、どうでも良くないと思える人は、問題提起と議論を続けていく資格がある。

すると、かなり多くの人が、何もかも、実はどうでもいいと思いながら生きているということになる。
それは、要するに、誘導され続けて、疲れ切っているからだと思う。

高輪ゲートウェイだが、「芝浜」にならなかったのは良かったと思う。粋方向のかっこつけは、逆にかっこ悪い。
「高輪」にしなかったのは、「それじゃつまらない」と言い出したモンスターがいたからだろう。つまんない奴が「つまらない」と言った場合、それは面白いのだから、やっばり「高輪」が正解だったのだろう。

金曜「たまむすび」を聞く。外山アナが遅刻し、「生活は踊る」のジェーン・スーがヘルプでしゃべっていた。ガヤガヤしてとても楽しく、聞いていて幸せだなあと思った。
玉袋筋太郎が、大勝軒の閉店について話していた。5日の夕方4時台にお店に行っていたらしい。店で、常連の80歳のじいさんと話し、食べて、店主からお土産に丼と「かえし」をもらい、丸の内線に乗ると、同じく大勝軒で食べていた客と会い、「一杯いきましょう」と話すが、その人は乗る方向を間違えていたので、荻窪で折り返したそうだ。
会った人に、軽く、「一杯どうです?」と言えるのがいいなあと思った。

『戦争と平和』4巻、半分まできた。
ロシアの反撃。ピエールは虜囚生活で痩せて頑健になる。フランス兵にも一目置かれていた。しかし、撤退が始まるとフランス兵の態度は変わり、捕虜たちは乱暴な扱いを受ける。
敗走するフランス軍に、コサック兵が襲いかかる。デニーソフとドーロホフによる合同作戦。伝令でやってきたペーチャは、デニーソフ隊に残り、そのあと、ドーロホフの偵察につきそう。ドーロホフは悠然と敵の陣地に入り、士官たちと話しながら情報を入手する。ペーチャはドーロホフの剛胆さに感激してキスしまくる。「七人の侍」でいえば、久蔵と勝四郎ですな。
しかしドーロホフは、ペーチャには刺激が強すぎた。翌日の作戦で、包囲して歩兵を待てという指令を聞かず、勇敢さを示す熱にかられたペーチャは、頭を打ち抜かれてしまう。デニーソフは痛恨の叫び声をあげ、ドーロホフは言い放つ。「捕虜はとらんぞ!」

ペーチャはかわいそうだが、さすがに軽率過ぎた。享年16。ニコライは初陣の時20歳だから、それより4つも若い。無理もないという気がする。

天久聖一「サヨナラコウシエン」を、Kindle版で読んだ。
天久さんの漫画は、構図がとてもカッコイイ。電気グルーヴのPVを見るとよくわかる。
ピーコや、つげ義春「庶民御宿」のパロディや、シャンペンタワーの場面で大いに笑い、おじいさんとの再会と投球場面で、こらえきれなくなって泣いた。たまらなかった。