めまいの一日

夕方、いつものようにジョギングをしていた。
20キロ走るつもりはなく、往復15キロ前後をゆっくり走れればいいだろうと思っていた。
時間にして1時間半。
大泉学園まで行って帰ってくれば大体その時間になる。

青梅街道を渡り、荻窪警察署の横を走って少し経った時、平衡感覚が急になくなった。
まるで頭をぐるぐる回転させながら走っているようだった。
目眩だった。

炭水化物とビタミン類、および水分の摂取には随分気をつけていたので、血糖値の低下が及ぼす目眩ではないだろうと思った。
その証拠に呼吸はまったく正常だったし、足の筋肉も疲労を感じてはいなかった。
肉体的には絶好調といって良かった。
なのに目眩がする。

(走っているうちに治るだろう)

その場は楽観的に考え、ジョギングを続けた。

西武新宿線の踏切を渡って新青梅街道を走る頃、目眩は少しおさまっていた。
だが石神井公園の坂をのぼって富士街道をしばらく走り、赤信号で止まった時だ。
電柱につかまっていなければ立っていられないほど目眩がひどくなっていた。

とにかくいったん休んだ方がいいと思った。
信号の先にコンビニがあったのでそこまで歩いた。
コンビニで飲み物を買い、ゆっくりとそれを飲んだ。
駐車スペースの脇に座り、呼吸を落ち着かせた。
遠くのモノを見たり、目をつむったりした。
しかし目眩は治らなかった。

腕時計のストップウォッチを見た。
家を出てから37分走っていた。
ペースから考えて7?8キロ走ったと思われる。
歩いて帰るには遠く、西荻方面に向かう路線バスも見あたらない。
タクシーに乗られるだけの金は所持していない。
(とにかく肉体だけは大丈夫だ。ここはゆっくりでもいいから走って帰るしかあるまい)
そう思い、来た道を走って帰ることにした。

ゆっくり、焦らず、確実に。
段差や後ろからくる車に気をつけて。
機体にトラブルが生じた時のパイロットに似た気分で西荻窪まで走った。

家に着いてすぐトイレで吐いた。
乗り物酔いに似た症状だ。
自分の目眩に酔っていたのだ。
言い換えれば、自分に酔っていたのだ。
それも、吐くほどに。
究極のナルシシズムだと今は思えるが、吐いている時点では、
(うげええ)
としか思えなかった。

シャワーを浴び、布団を敷いて横になった。
(こんなもなぁ、ひと眠りしちまえばすぐに治らぁ)
と、長屋の職人みたいな頑固さで思いながら小一時間寝た。

小一時間後目を覚ます。
起きる。
目眩は治っていなかった。

夕食を食べていなかった。
食欲はまったくなかった。
だがなにか食べないと。

近所の酒屋へ行き、白桃とみかんの缶詰を一つずつ買った。
病気の時は桃の缶詰を食べるのが塚本家の習わしであるが、買っている時点ではそのことに気づいてはいない。
食欲がなく、それくらいしか食べられそうなものがなかったのだ。

桃の缶詰を食べてから、インターネットで<めまい>について調べた。
目眩のため、画面の文字が右方向へずれていくので、読むのが大変だった。

「あわてるのが一番良くない」
「おちついて深呼吸を」

この文字が目に飛び込んできた。
落ち着くための深呼吸と言えば、丹田呼吸法しかない。
パソコン画面の前で背筋を伸ばし、それを2回やってみた。

治った。
すーはー、すーはーだけで。

だからといって目眩に丹田呼吸が効くというわけではないだろう。
自分の場合たまたま、自律神経にいい形で作用したのだと思う。

治ったついでに色々調べた。
どうやら自分の症状は<回転性めまい>に相当するようだ。
メニエール病の可能性も考えられる。
おそらく三半規管になにかのトラブルが生じ、一時的に平衡感覚がなくなってしまったのだろう。

色々わかったが、当然のことながら今日のジョギングはいつもの数倍疲れた。
明日は走るのをやめよう。