サルチネスのことばかり考えていた

仕事は忙しくなかった。
トラブルが減り、時々の依頼のみになると、待ち時間が多くなる。

『サルチネス』のことを考える。

扱っている題材は、村上春樹のものと同じではないか。
意識して描いたはずはない。
あるテーマを掘り下げた結果、同じ鉱脈に達したということだろう。

『ヒミズ』以降の古谷作品には、主人公にしか見えない化け物がよく出てくる。
登場人物の心の奥深くに巣くっている、なにかだ。
おそらくそれは、人が進化して精神の構造が複雑になった今よりはるか昔から、心の奥深くにあったものだ。
たとえ人種や言葉が違っても、みんな同じような化け物を飼っている。
心の奥深い、原始のゾーンに。

村上春樹作品でいえば。
『羊をめぐる冒険』の、羊。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の、やみくろ。
『ねじまき鳥クロニクル』の、ギター弾きの男や、顔のないボーイ、処刑された中国人野球選手。
『海辺のカフカ』の、どろっとした生き物。
『1Q84』の、リトルピープル。

『ねじまき鳥』には、そういう存在が多く出ていると思う。
綿谷ノボルが加納クレタの体内から引きずり出したもの、オカダトオルにホテルで襲いかかってきた何か、など。

古谷実『ヒミズ』のラスト。
化け物の「決まってるんだ」のひと言で、住田は自死を選んでしまった。
『シガテラ』では、押し入れに化け物が潜んでいた。
そいつは、ちゃんとした大人になって南雲さんを幸せにすることを荻野に決心させるが、結局荻野は南雲さんと別れてしまった。
『ヒメアノール』では、化け物は森田につきまとい、森田は淡々と狂気へ墜ちていった。

『サルチネス』でも、化け物が沢山出てくる。
イチゴ男、ナマコ男、ジャガイモみたいな教師、毛むくじゃら、タイヤ男。

主人公の中丸タケヒコは、そいつらをまったく恐れていない。
存在を受け入れ、対等に渡り合っている。
言い換えれば、自分の心の奥底にある暗闇と向き合うことを恐れていない。

中丸は平常心を手に入れるため、様々な修行をしてきた。
修行の内容は過酷だが、常人には意味のわからないものばかりだった。
だが結果的に、彼は古谷作品の登場人物中もっとも精神力の強い、ある意味「救世主」に近い境地に到達してしまった。
その影響力は、良い大学を出て一流企業に就職した太郎くんに、仕事を辞めて田舎のガソリンスタンドを継ぐ道を選ばせるほどだ。

母親に捨てられた兄妹という設定は『僕といっしょ』を思わせる。
むしろ、積極的に同じ設定を使っているのではないか。
『僕といっしょ』連載時、古谷実は二十代の半ばだ。
吉田あやこの、
「人生って何?」
という問いを、すぐ夫とイトキンの大爆笑でかき消していた。

四十代になった古谷実は、『僕といっしょ』の頃にはまだ書けなかった問いに対し、およそ15年分の人生と経験をモチーフにして、『サルチネス』という形で描き直したのかもしれない。

絵が丁寧だった。
正座したじいさんの後ろ姿、警官の表情、サイキックと中丸が語り合う海辺の夕陽場面。
取材した場所の資料が豊富なのか、背景もきちんと描かれていた。

4巻で終わっているが、尻すぼみな印象はない。
同じ内容で10巻くらい引っ張る漫画家がいてもおかしくない。
描き尽くし語り尽くし、結末を迎えたら未練なくすぱっと終わる小気味よさがあった。

ヒマなまま仕事を終え、今月で退職するメンバーの送別会へ行く。
11時まで飲む。
思ったより沢山飲んでしまった。

12時帰宅。

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