C64でSDカードを読む

6時半に起きた。人間の起きる時間だ。
トムヤムクンヌードルと、昨日焼いた焼き芋を朝飯に食べた。

猫が死んだ。
随分昔、生まれたばかりの頃から知っていて、時々会って、揉んだり舐められたり、話したりさせてもらった。
近しい人が感じている喪失感や、かき乱されている思いには程遠いけれど、 遠くでさみしいと思っているニンゲンがここいる。
さようなら。一緒の時間を過ごせた分だけ、人生の値打ちが上がった。
会ってなくて、過ごせてなければ、悲しくも辛くもないのだろうけども。
さみしいと、今、感じられることに、お礼を言いたい。

夕方実家へ。テレビで、芸能人が俳句を作るやつをやっておったが、見ていてなんだか腹立たしくなってきた。先生の言うことは、なるほどと思うけれども、俳句をまったく知らないずぶの素人が書いたものを、素人みたいだとからかうのは、人間として下品だよな。いいじゃん素朴で、と思ったんだが。というか、からかう出演者はクラスが上っぽいのだが、何、そのヒエラルキー? って思った。

で、飯がまずくなった。気を取り直すべく、PCをつけてPythonの勉強などした。
プログラミング言語の勉強をすると、初めは必ず、変数、演算子、条件分岐、繰り返し、配列を学ぶ。一つの言語を習得していた場合、そういうのを飛ばしていいわけである。というより、そのあたりは各言語ごとに自分で対応表を作ったら良いのではないかと思う。

風呂に入ってから自室にこもる。今日は暖かかった。明日からまた寒くなるらしい。部屋の窓を開け、ふと気になって、自室の電子ピアノの電源を入れてみた。すると、音色を変えるボタンが効かなくなっていた。
20年以上前に亡くなった伯母の形見の品で、母が「これはあたしがもらうから!」と所有権を主張してもらったものだ。その辺は、複雑な事情があるのだが、もらったというものの、母は自分で弾くわけではなく、物置化したオレの部屋に置きっぱなしになったまま月日が流れたわけである。
そういえば、甥の1号2号が小さい頃、よく電子ピアノで遊んでいた。といっても、むやみやたらと鍵盤を叩いて騒ぐだけだった。母に「おじさん起こしてきて」と言われた2号が、喜々として電子ピアノの電源を入れ、鍵盤を叩きまくった朝も幾たびかあった。あれには参った。
今の時代、90年代に作られた故障した電子ピアノなぞ、まず売れまい。売ったとしても二束三文。おそらく送料の方が高くつくだろう。
かといって、捨てると言ったら母は強固に反対するだろう。キッチンの棚に沢山ある、安いからといって買ったが買ったことを忘れてしまった食品と、たぶん同じ所有欲が働いている。
こっそり捨てたら怒られるんだろうな。
でも、正直な話、心安らかな老後を過ごしてもらおうと、息子として真剣に考えるなら、実家にあるいらないものを捨てるか売るかしまくって、余分なものがなくすっきりした部屋にして、テレビを見る時間を減らす工夫を施すことなんだがな。
母がテレビを見まくる生活を始めたのは2003年頃からで、2006年頃から、考え方がおかしくなってきた。おかしくなったというより、あまりにも典型的な「おばちゃん」風になってきた。もともと、ベタな考え方をする人ではあったけど、昔はそこまでじゃなかった。
最近では、平気で差別的言動を口にする。考えなしに言っているというより、テレビやワイドショーが、視聴者に対してそう考えさせたがり、仕向けてきた意図が、母の中に実を結んできたように思う。テレビの言うことを100パーセント信じると、人間はこうなるという見本みたいな意見を、母は吐く。
過去、反発や対立もした。けど最近は、他人に迷惑をかけるわけでもないのだし、残りの人生も長くないのだしと、聞き流すようにしている。もう80を超えたのだ。死んだおばあちゃんより年上になったのだ。「変われ」と言うことに、意味があるのか?

そんなふうに考えごとをしてから、ピアノの電源を落とした。父が寝るところだった。居間の電気をつけたままにしてもらった。
コモドール64をこたつの上に持っていき、電源を入れ、SDカードドライブを接続し、ビデオケーブルをHDMI接続に変換するアダプタとつなげ、居間のテレビに接続した。
「何するんだ?」
父が言った。古いパソコンの動作確認をするんだと答えた。父はしばらく、様子を見るために、安楽椅子に座っていた。
電源を入れると、起動画面がテレビに映った。端の方が切れてしまったが、映るだけでも儲けものだと思った。
次に、SDカードに入れておいたプログラムを動作させるためにコマンドを入力した。

LOAD “*”,8,1

するとSDドライブのLEDが点灯し、プログラムが読み込まれた。
どうやら、コモドール64は、SDドライブをフロッピードライブと同じものと認識しているようだった。
次に、読み込んだプログラムを表示させた。

LIST

テキスト画面がスクロールし、SDカードに入れておいたプログラムが表示された。
さて、いよいよ実行だ。
読み込むプログラムを再びLOADし、実行コマンドを入力した。

RUN
?SYNTAX ERROR

なぜか、文法エラーになってしまった。
RUNなんて、打ち間違いようがない。
これは、BASICの領域を、なんらかのプログラムで浸食してしまった時に起こった現象じゃなかったかと、中学二年生の時の記憶を探ってみる。しかし、解決の方法など思い出せなかった。なにしろ、当時はカセットテープだった。ディスクでプログラムを読むなんてことはなかったのだ。

色々試したが、結局プログラムを実行させることはできなかった。コモドール64が日本バージョンであることが原因なのかもしれないが、LOAD “*”,8,1でプログラムのリストは読めたので、実行まではあと一息というところだろう。
FAST LOADというカードリッジを手に入れれば、日本版でも外国のプログラムが実行できるらしい。だが、そこまで追加投資するのはやり過ぎのような気がする。だいいち、動いたとしてその先どうするのか? 使うのか? まさか。80年代の8ビットパソコンを?

ともあれ、ハードは動いたし、フロッピードライブの動作も確認できた。これで満足しておいた方がいいのかもしれない。もし、解決の方法が見つかったらまた試してみようと思うが、こだわるのはやめにしよう。お互い頑張った。

1時半就寝。