『シガテラ』最終回

『シガテラ』最終回読む。

やはりというか、案の定というか、グロテスクな事件は起きず、先週の話から数年後のオギノを描写することでエンディングとしていた。

オギノはその時点から4年前に南雲さんと別れ、新しい彼女ができ、両親と挨拶するところまでいっている。
南雲さんは別の男と結婚し、もうじき出産らしい。
数年間の間に起きたであろう、オギノと南雲さんとのさまざまなドラマについて、読者にはヒントすら与えられていない。
数年後の二人はこうなったという事実を、何気なく描写するだけだ。

オギノは普通の社会人になった。
(つまらない人間になった)
と彼は感じているが、そのことに対して後ろめたさもなければ、後悔もない。
<大人になった>という現実を淡々と受け入れている。
南雲さんの内面はまったくわからない。
臨月を迎え、幸せそうだ。

数年前のオギノと南雲さんを生々しく覚えている読者にとっては、これはとても残酷な展開に映る。
なにしろ、前回から我々が過ごした時間は、たったの一週間なのだ。
二人の恋愛に感情移入していた者にとって、受け入れがたい展開に違いない。

リアルじゃないのかといえば、むしろ逆だと思う。
初めて本気で好きになった人との恋愛が駄目になる話は、そこら中に転がっている。
原因と結果に舞台装置と台詞を与えれば、それはラブストーリーになる。
古谷実がそんな話を書くわけがないということは、わかりきっていた。

すべてを闇に帰すようなエンディングになる可能性もあった。
オギノが先天的に抱えていた<人を不幸にするオーラ>が、とうとう南雲さんをも呑みこんでしまう展開。
読めばたまらなくブルーになったかもしれない。
だが、それでは前作『ヒミズ』と同じだ。
同じことを言うために新しい作品を書いたわけじゃないだろう。

先週も書いたが、古谷実は伝えたいメッセージをすでに伝え尽くしていたと思う。
平和な暮らしと表裏一体に存在する心の暗闇。
それに対して知らぬフリをする者、あるいは飲み込まれてしまう者の存在。
両方を股にかけ、闇に飲み込まれない生き方をする谷脇。
両方の存在を知っているが、平和な暮らしだけをしたいと望むオギノ。
平和な暮らしの象徴で、オギノを良い方向に連れて行く存在である南雲さん。

前回、オギノは南雲さんのためなら死んでもいいと、布団の中で思った。
あれはきっと、オギノが私心の全くない状態で初めて南雲さんのことを<思った>瞬間だったのだろう。
その純度の高さゆえに愛は結晶化し、解脱に似た効果をオギノに与えたに違いない。
こうなるともう、オギノは、成長するしかない。
心の闇に目をつむるでもなく、ないフリをするでもなく、対処する生き方を身につけ、勉強して大学に合格し、社会人になってネクタイをしめ、普通に働く<ちゃんとした>大人になった。
成長していく過程で、オギノと南雲さんはお互いが必要でなくなったのだろう。

二人は、お互いの欠落部分を相手が補ってくれるような関係だった。
だから、とてもうまくいった。
しかし、成長していく過程でその欠落を自分で埋めてしまった。
だから、別れた。

『シガテラ』は実は、気恥ずかしいほど普遍的な<青春もの>を、現代にアレンジしただけではないか。
そんな気がする。

とにかく、2年弱の連載は、最後までこちらの負けっぱなしだった。
殴られ蹴られ、投げられ極められ、最終回では締め落とされた。
毎週月曜日、ページをめくるたび、
(やられた!)
(やりやがったな!)
(そう来たか!)
(うわ、もう許してくれ)
の連続だった。
単行本が全部揃ったら、じっくり読み直そうと思う。
そして、次回作が、とても楽しみだ。

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