釣りから連想していく

4時半に大宮八幡の林へ。
カラスが沢山いた。
その辺りに営巣しているのだろう。
昨日の夕方、バナナを発酵させたトラップを仕掛けたのだが、カブトムシはいなかった。
期待してはいなかったが、やるだけやってみようと思ってやったわけだ。
家に帰り残りの惰眠を貪った。

乳酸菌入りの野菜ジュースを飲んだ。
ヨーグルトの味がして大変美味しかった。

昼、カミュ『シーシュポスの神話』読む。
哲学書なのでわかりにくい。
なぜ哲学を日本語にするとわかりにくいのだろう。
西和彦さんがホリエモンとの対談で、英語で読んだ方が分かり易いと言っていたが、その通りじゃないかと思う。

天気はいったん不安定な感じになったが、夕方が近づくに従い晴れてきた。

7時前帰宅。
乳酸菌入り野菜ジュース飲む。

オレにいま必要なのは、釣りをすることではないかという考えが不意にひらめいた。
ネットでシーバス釣りの情報を検索する。
20年以上前に買った安い釣り竿とリールは捨ててしまった。
新しいのを買わねばならない。
すべて揃えると3万弱くらいか。

ハゼ釣りという選択肢もある。
江戸川放水路に行けば、貸し竿貸しボート屋があるので、手ぶらでも大丈夫らしい。
だがそういう釣りが必要なのではない気がする。

シーバスなら、実家から自転車で荒川河口に行ける。
そういえば小学生の頃は釣りによく行った。
大人に連れて行ってもらうことは稀だった。

船釣りをするのが夢だった。
今なら叶うが、今叶ったところで嬉しくない。
子供の頃に行けなかった時点で、夢のまま終わったのだ。

古いパソコンのことを調べるのが好きだが、それは中学生の時にパソコン少年だったからだ。
一番深くハマっていたのは中一の一年間で、寝ても覚めてもパソコンのことばかり考えていた。
ただ、中学生では小遣いやお年玉を貯めても、一年間に5万円が関の山だった。
バイトがしたかったが、どうしたらいいのかわからなかった。
新聞配達が思い浮かんだが、うちの中学でやっている人はおらず、するにしても経済的事情がなければ許可されなかった。

楽器であれば、3年間お金を貯めても、そのモデルが楽器として劣化することはない。
だが当時のパソコンは日進月歩だった。
8ビットではもっとも実行速度が速かったのは富士通のFM-7だった。
ずっと欲しかったのだが、中一の終わり頃にはすでに最速ではなかった。
早く手に入れないと、パソコンというジャンル自体を楽しめなくなってしまう焦りが、中一の終わり頃にあった。
それで、貯金で買えるマシンをバーゲン価格で買った。
妥協だった。
本当に欲しいマシンじゃなかったため、嬉しさと苦い思いを両方感じた。

これと同じたぐいの苦い思いは、その後の人生で何度か味わっている。
けれどあの時、中一のオレにどんな選択肢があったのだろう。

もし中一になってすぐにFM-7を手に入れていたら、おそらく朝から晩までプログラミングに没頭していただろう。
それはいいことだったろうか?

図々しい無い物ねだりだが、それをいいことであるように導いてくれる、兄もしくは先輩がいたら良かった。
オレは、兄が欲しかったのだ。

Windowsを使うようになってから16年が経つ。早いもんだ。
インターネット歴もそれと同じだ。
初めの頃は実家PCしかなかったので、一年間実家にいることの方が多かった。
家に帰るとPCに向かって、延々とネットや、他のアプリケーションを動かしたりしていた。
あの頃は、夜の3時まで起きているのが普通だった。
エミュレーターの存在を知ったのもその頃だった。
中学時代に買えなかったパソコンが、Windws上でそっくりに動くのを見て感動した。
でもどこか虚しかった。
虚しかったけど、嫌な虚しさじゃなかった。

今でも時々、コモドール64のエミュレーターで、メガデモを動かしている。
ゲームを動かすより楽しい。
失われた、パソコンを動かす楽しさの粋が、そこにある。

虚しさの原因は、もしこれらを中一の時に手に入れられていたらという、破れた夢への未練にあるのだろう。
子供の頃から中学くらいまでは、今よりもはるかに物欲が強かった。
欲しいものばかりだった。
ラジコン模型、釣り竿、ベイトリール、ルアー、モデルガン、パソコン、天体望遠鏡、ステレオ、ウォークマン、ビデオデッキ、ギター、電子工作部品、レコード、カメラ、レンズ。
欲しいものの先に、未来があるような気がした。
高校に上がってから、物欲は減った。
大学生になると、欲しいものはバイトして買えるようになり、ますます減った。
気がつけば、今、心の底から欲しい「もの」はない。
大人だから、ラジコンとか釣り竿くらいは買える。
買えるからこそ、本当に欲しいのか考えるクセがついている。
するとやはり、中学の時に欲しいパソコンを買えなかったのは良かったことなのだろうか?
今とまったく違う人生を歩んでいたことは間違いないだろう。
その、架空の人生を歩んだオレは、今頃どういうふうになっているだろう。
居酒屋でバイトに横柄な態度を取る、メタボ薄ら禿げのリーマンかもしれない。
あるいは居酒屋でリーマンに横柄な態度を取られる、バイトかもしれない。