ソースカツ丼と喜多方ラーメン

朝、まだ暗いうちに起きた。トイレに行って戻り時計を見ると5時過ぎだった。6時50分にアラームをセットしてまた寝た。しかし二度寝ではウトウトしただけだった。会津線の走る音が一回聞こえた。

7時に広間へ行き朝飯。納豆、目玉焼き、野菜多めの味噌汁、卯の花、きんぴらごぼう、漬物。メニューが多かったのでご飯をお代わりした。

すぐチェックアウトする。女将に「いつも仕事ではパソコンばかりですか? 良い運動になりますか?」と言われたので、マラソンしてると答えると、大げさに驚いていた。宿を出る時、女将は深々とお礼をしてくれた。

雨は降っていなかった。7時40分に駅に着いた。駅の中に囲炉裏があった。本棚には漫画が沢山入っていた。『ガンツ』を抜き取って少し読んだ。

8時の会津若松行きに乗った。座席に割としっかりとしたテーブルがついていた。車中、『新日本探偵社報告書控』読む。

8時40分前、会津若松着。レンタカーへ行き車を借りる。

猪苗代湖にナビをセットする。

途中、セブンに寄りコーヒーを買い、ナビとGoogleマップを見て現在地を確認する。ナビの地図は湖岸に近い道路の数ヶ所に×印がついていた。通行止めなのかもしれない。しかし、ぐるっと回りたいわけじゃなく、ただ湖が見られれば良かったので、湖岸に行ってみることにした。

湖に沿ってキャンプ場があった。車を止められそうなところを探していると、道に雪が集められ、行き止まりになっているところがあったので、そこに止めて車を降りた。寒かった。
岸辺に行き、湖を見た。空は雨雲に覆われていて、湖はその色を反射していたので、景色全体が陰鬱な色合いになっていた。風は湖の方向に向かって吹いており、地面の草はまるでその方向へクセをつけられたかのように曲がっていた。

車に戻り、ナビを市街地にセットした。10時40分過ぎ、『むらい』というソースカツ丼の店に着いた。雨が降っていた。11時開店だったが、駐車場の半分以上はすでに埋まっており、店員が車を回って注文をとっていた。

カウンターに案内された。ソースカツ丼のロースを頼んだ。来たカツ丼のカツは分厚く、そのカツでカツ丼が二つか三つは作れそうだった。ライスを普通盛りにしたので何とか食べられた。

店を出て車に戻り、ナビを喜多方市にセットした。12時過ぎに喜多方駅の近くに到着。車を返す時間は16時で、その前に喜多方ラーメンを食べようと思っていた。しかしそれまでには時間があったし、腹もまったく空いていなかった。

体育館のパーキングに車を止め、その辺をぐるっと散歩した。体育館では高校生のバスケの試合をやっており、寒いのに外から観戦している人がけっこういた。外から覗いた方がコートに近いからだろうと思った。

田畑にはまだ雪が積もっていた。昨日から降っている雨で随分溶けたのだろうと思うが、それでこの積もり方だとすれば、先週や先々週に来たら町全体が雪景色だったのではないかと思った。

田畑のあぜ道でふきのとうを探してみたが見つけられなかった。風が強く寒かったので車の中に戻った。暖かさに眠くなり、シートを倒して目をつむった。起きると1時半を過ぎていた。寝ている間にまとまった雨が降ったようで、フロントガラスが水滴に覆われていた。

2時過ぎまでスマホで喜多方ラーメンの店を調べた。2時前後に終了する店が多かった。その代わり朝7時から営業する店がけっこうある。先に喜多方ラーメンを食べ、次に湖へ行き、車を返す前に『むらい』へ行くのがルート的にも一番良かったのだが、『むらい』の閉店時間も2時だった。宿を朝食なしで予約しておけばよかったかもしれない。朝6時台の列車で会津若松に向かい、8時に車を借りて喜多方に行けば、8時半くらいに喜多方ラーメンが食べられた。お昼までの時間を湖見物に費やし、1時くらいに『むらい』へ行けば、たとえ行列があったとしても車を返す4時までには順番が来ただろう。

今日の会津地方は雨がしつこく降る運命にあり、車を降りてうろちょろするのは難しかった。雨だけなら良いのだが、山おろしみたいな風が強く吹いており、銚子に行った時みたいにビニール傘を折られそうだった。

2時過ぎ、車を移動する。『坂内食堂』へ行くことにした。チェーン店のもとになったお店であるが、チェーン店との現在の関係はよくわからない。
チェーン店の『坂内』は、20年以上前、西武新宿駅からマックの脇道を歌舞伎町へ入って行くと途中にある店が大変美味かったが、現在同じところにある店舗の味は別物になっている。
あと、新橋駅近くのガード下にあった『くら』という店も坂内食堂系のお店だったと記憶しているが、その店も美味…かったと過去形である。

車を止め、2時半くらいに店の前へ。行列はなかった。しかし中に入ると店の中に行列ができていた。

トイレに行きたいのを我慢して20分ほど並んだ。畳の席を案内された。トイレに行き、戻るとすぐに注文した肉そばがきた。
スープをすすった瞬間、(そうそう、これこれ!)と思った。昔新宿や新橋で食べた時と同じ味がした。
しかし、4時間前に食べたソースカツ丼がまだ腹に残った感じがあったし、塩分取り過ぎになりそうだったので、スープをすべて飲むのは控えた。

店を出ると3時10分になっていた。車に戻り、会津若松に向かった。喜多方と会津若松は高速道路一本で結ばれており、行き来が大変スムーズだった。

3時40分過ぎに車を返した。

駅前に『岩瀬書店』という本屋があった。筒井康隆の『ジャックポット』が売っていたら買おうと思い店に入ったが、おいていなかった。ここ数週間ほど、書店を見かけるたびに探しているが、どの店にもおいていないのはどういうことだろう。少しイラついている。

4時25分の会津鉄道で会津田島へ。途中、いくつかの谷川を渡った。
会津田島で15分ほど待ち、リバティ会津に乗った。スペーシアとの違いは、前席背もたれ裏から手前に倒すテーブルがあること、肘掛けの脇にコンセントがあること、車内Wi-Fiがあることなど。しかしWi-Fiは結局最後までつながらなかった。

会津田島を出てからすぐに、窓の外は真っ暗になった。昨日下りた男鹿高原駅にも止まったが、乗り込んでくる客はいなかった。

栃木駅を過ぎる頃までSQL関係の本を読んだ。その後、ラジコでラジオを聞こうとしたが、地域が福島のままになっており聞きたい番組が聞けなかったのでイヤホンをしまい、『新日本探偵社報告書控』を読んだ。

9時前に浅草着。地下鉄で帰宅。10時過ぎ。

1970年代の地図をネットで調べ、東武鉄道の終点は新藤原だったことを確認した。会津に鉄道が通じたのは1986年らしい。男鹿高原駅が出来たのもその頃ということになる。バブルが始まった頃だし、リゾート開発を見込んでの駅開設だったのだろうかと想像してみたが、ピンとこなかった。利便上、または管理上、県境近くのあの位置に駅が必要だったのかもしれない。

11時過ぎ就寝。