7時半起き。
プランターの小松菜がだいぶカブラハバチの幼虫に食われていた。駆除しようと思って少しでも触れると葉から落っこちて、土の中に紛れてしまう。ほとぼりが冷めるとまた茎から上がってきて、葉の縁を食べるのだ。定期的に確認し、奴らの食事中とかち合うようにしないと、駆除は難しい。
ペットボトルに植えている大根の葉にも、カブラハバチの幼虫による食害のあとがあった。しかし、ペットボトルの場合、葉がペットボトルの外に伸びるので、奴らが葉を食べている時にちょっと葉を揺らせば、ペットボトルの外側から、地面の砂利に落っこちてしまう。だからかもしれないが、被害の程度は小松菜より少なかった。
昼、たらこスパゲティと半カレー。
昨日と同じように走りに行く。インナーとジャージ上下を着て発汗を促し、初台まで往復した。10キロ。
走っている途中、マンションの植え込みに、長ネギっぽい植物が植わっていた。

まったく同じ場所で、2017年の5月に長ネギが落ちており、その写真を撮っていた。これだ。

そういえば、先々週三鷹へランニングする途中、井の頭通りの年金機構ビル入口の植え込みにもネギが落ちていた。これだ。

風呂に入って体重を量ったら、昨日走り終わったあとと同じ体重になっていた。摂取した水分だけ、汗を出したという感じだ。三日後の本番まで、体重が増えないよう、かつ、炭水化物をしっかり摂取するよう、食事を気をつけないといけない。
Youtube で久しぶりに nanao さんのシーバス釣り動画を見た。引っ越しをしたらしく、釣り場が旧江戸川ではなく、荒川ロックゲート近辺になっていた。ちょっとショックだった。
旧江戸といえば、2021年11月から果てしなく堤防工事が続いているが、なぎさニュータウン前の工事はそろそろ完了するらしい。ついでに雷公園から左近川入口までの工事が終われば、釣り場が一気に広くなり、ポイントの選択肢が増えるのだが。
明日、新幹線で富山に着くのが9時40分過ぎで、宿のチェックイン時間が15時なので、それまでの時間を城端あたりまで足を伸ばし、母方の祖父の故郷を見に行こうかと思っていた。そのためのレンタサイクルを予約していたのだが、天気予報を見ると、明日の富山は午後からずっと雨らしかった。となると、レンタサイクルの移動は無理だ。で、予約をキャンセルした。食事以外ではなるべく歩かず、大人しくするしかなくなった。これが吉と出るか凶と出るかはわからない。
山本周五郎『日々平安』読了。表題作が黒澤明『椿三十郎』の原作であることは知っていた。ずっと助監督をやっていた堀川弘通が監督する映画のシナリオを黒澤明が書いてやることになり、その題材が「日々平安」だったらしい。しかし、『用心棒』の大ヒットで東宝から続編の製作を頼まれ、黒澤さんは堀川さんに、「あれ、オレがやっていいか?」と頼み、いいも悪いもクロさんが書いたものだし、てな感じで、『椿三十郎』という作品になったらしい。出展は忘れた。
堀川弘通監督作品だったら、おそらく原作通り、飄々とした侍が藩の汚職騒動につけ込みまんまと要職に就く、侍版のサラリーマン喜劇になっていただろう。主演は小林桂樹でぴったりだ。しかし、『用心棒』の続編として脚色されたから、汚職騒動部分はそのままだが、三十郎が若侍達を見かねて助ける、あのような形になった。
原作を読んで、映画版とどっちが面白いとかは、まったく考えなかった。どちらも見事に面白い。そして、『日々平安』に入っている他の短編は、どれもこれも見事に面白かった。江戸を案内されている心地になった。そして、これらの短編を映画化することは、まったく想像できなかった。頭の中の妄想映画館は閉まったままだった。その代わり、それぞれの短編を落語家がしみじみ語っている様子が想像できた。たぶん、そっちの方がまだ、江戸の風を感じることができる。
面白すぎたので、過去、山本周五郎の作品で何を読んできたかを、過去のバカ日記で検索してみた。すると、2003年に『正雪記』を読んでいたことがわかった。たしか、実家の本棚にあったのだ。実家周辺の古本屋で父が買ったものだった。今回読んだ『日々平安』もその頃父が買った一冊だ。
『正雪記』は、残念ながらまったく印象が残っていない。由井正雪の知識も思い入れもなかったし、山本周五郎作品と黒澤映画の関係についても、全然知識がなかった。読む本がなくなり、さりとて買う金もなく、活字中毒の発作を緩和するために一冊とって読んだだけだったかもしれない。もう、『正雪記』は実家にない。たぶん処分してしまった。『日々平安』はいつか読もうと思って保護し、家の積ん読棚に積んでいた。
明日の準備をし、11時就寝。